オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび666

橋場弦「古代ギリシアの民主政」を読む1

 


始めに、成文法を定めて公正な裁判が可能になったクレタ島や声の大きさが採決に影響した(=ヤジ?)民主政とは言い難いスパルタの例が語られる。一つの制度を定めるとそこに安住し硬直化してしまうのは、現代もまったく同じであり、永久革命としての民主主義を掲げた丸山眞男の言葉が蘇ってくる。

その中でやはり語られるのが、アテナイの民主政です。アテナイそのものは他のポリスよりもかなり大きく日本で言えば神奈川県程度の面積があったと言います。政治に携わる者をアルコンと呼ぶのですが、互いの名誉欲や権益欲が絡んでなかなか決まらない。不在の状態は今のアナーキーの語源になっています。イソノミア(法の平等)をスローガンに掲げて民主政を導いたのはクレイステネス。偉大な業績だと感じるのですが、いわゆる偉人英雄として語られることが少ない。自分個人への権力集中を意図的に避け続けた結果、名声が歴史に残らなかったのだろう。イソノミアは、やがてデモクラティアという言葉に代わっていく。

民会はプニュキスの広場で開かれ、例会は月に2〜3回、多い時で5000〜6000人の市民が集まったという。ご町内の輪番的な間接民主制とはいえ、現在の日本の投票率と比べれば、政治に対する関心がとても高いと感じます。

民会は明け方神々への供儀と祈りに始まり、午前中いっぱい。その間に案件が10程度論議され、挙手採決が25回程度行われていたという。実際の提案は有閑階級のエリート層からなされたが、それを採決する権利は民会の参加者である大多数の市民にあったので、提案側のエリートが優位な立場とは言い難い。ここまでが三権分立でいう立法機関であるとすれば、行政は500人で構成された評議会が担っていた。その評議会の監督の下に、抽選で選ばれた役人(アルカイ)が働いていた。任期は一年。

もう一つ権力である司法については、現在社会と様子が違う。職業的な検察官や弁護士は存在しないし、裁判官ももちろんアマチュアなのだ。任期一年6000人の裁判員が、幾つもの法廷に分かれて、裁判を担当したらしい。年間に150〜200の裁判が開かれ、裁判員を担当すると4〜5日に1回は裁判所に出向いたという。買収防止には細心の配慮がなされていて、接触ができない仕組みだった。量刑は死刑以外は、公民権停止か罰金刑であり、懲役刑はなかった。今日本にも裁判員制度が取り入れられているが、アテナイの人にとって、裁判が大変身近なものであったことは容易に想像できる。

 


この投稿、明日に続きます。

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