外国に門を閉ざし、国内がほどほどに平和であると、国を防衛する力を衰えてしまうようだ。江戸時代のベリー来航時がそうだったし、イスラム勢力が入ってきた時の西ゴート王国もそうだった。711年滅亡。
イスラム勢力に負けて王国を失ってしまったので西ゴート王国の人々は人頭税を支払う義務を負った。しかしながら信じる宗教については寛容な政策がとられたので、キリスト教徒もユダヤ教徒も改宗を迫られたわけではなかった。
西ゴート王国滅亡から7年後、718年ペラーヨがアスティリア王国を興す、722年にペラーヨはイスラム勢力に勝利しており、この時からレコンキスタが開始されたとされる。
これがやがて、キリスト教の国つまりは西ゴート王国の再興を願う動きに繋がるのだ。ただしその間色々な国が興り、互いに干渉し合ったので、イスラム勢力をイベリア半島から立ち退かせる目的に到達するまでに、何百年という時間を要する。本書はその770年間に及ぶ経緯を詳述している。
結果的には、1492年イベリア半島に最後まで存在したグラナダ王国の滅亡によって、イベリア半島内に独立したイスラム勢力の国がなくなる。
ゴシック建築の語源はゴート風という意味です。東から西へヨーロッパを横断し、イタリアに東ゴート王国を建て、イベリア半島に西ゴート王国を興したゴート人は、ゲルマン民族の中でも、凄まじい活躍をした人々と捉えていいでしょう。ゲルマン民族と言えばドイツ人の専売特許ではなく、実はスペインの古代史にもゲルマン民族の足跡が残っていることを、しっかり記憶しておきたいです。