オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび673

ロベール・フォルツ 大島誠編訳「シャルルマーニュの戴冠」を読む1

 


初めて習うものにとって、ドイツ語とフランス語は大きく異なっている。ドイツ語が西ゲルマン祖語から長い時間をかけてドイツに浸透して知ったのに対して、フランス語は、ざっくり俗ラテン語ロマンス語→フランス語という過程を辿っており、ローマ帝国の属州ガリアであった名残が感じられる。

古代から中世にかけて、周辺国へ攻め入り広大な版図を実現した王は何人もいる。シャルルマーニュもその一人で、現在のドイツ・フランス・北イタリアを含める広大なフランク王国を築いた。彼が建設した都はエックス・ラ・シャペル(アーヘン)で、大聖堂がユネスコ世界遺産に登録されている。

彼の出現以前、メロヴィング朝からカロリング朝にかけて王の権力が強大であったとは言い難い。それが彼において権力の集中に成功したのはなぜか。

本書を読むと、政策・法の立案、裁判の過程、地方の統治の全てにわたって、彼の人事が冴え渡っている気がします。所詮は個人の能力には限界がある。だからこそどのような仕事をどのような人に委ねるのかは、とても重要でしょう。政治のパートナーともいうべき教会の司教任命にも彼は関わっているのです。ただ戦争が巧みだった王ではないのですね。

シャルルマーニュの時代、ほとんどの人々は文字の読み書きができなかった。それを教わる学校もなく、ラテン語を用いた文化活動はほとんど絶えていた。そこに登場したの知的好奇心旺盛のがシャルルマーニュ。彼はアルクインという優れた学者を招き、教育政策を進めました。学校を再興あるいは創設させ、彼自らが実際に学校を視察し、学生を叱責したり賞賛したりしたと言う。彼は初等教育の充実を目指したと言うが、実際に大きく変化したのは「自由学」でした。それは「三学」文法、修辞学、弁証法「四科」算術、幾何学天文学、音楽からなり、それらが聖書の理解に通じるという考えです。リベラル・アーツの歴史を調べると中世ではこれら七科目が教育課程の根幹でした。それらを学ぶためには、まず古代のテキストを掘り起こさなければならず、前提としてラテン語の理解が不可欠になったのです。

西洋教育史では、シャルルマーニュが力を注いだ学芸の奨励をカロリング・ルネサンスとよぶ。彼は巨大な帝国内の文化をラテン語によって統一しようと考えていたのですね。

 


明日の投稿に続きます。

f:id:hoihoi1956:20240821052936j:image