高遠弘美「物語 パリの歴史」を読む1
オヤジのあくび674でシャルルマーニュの本を読んだのですが、彼はエクス・ラ・シャペル(アーヘン)を中心に活動していたので、パリの話があまり出てこない。はて?
ヴァイキング(ノルマン人)による侵攻からパリを守った人として、西フランク王ロベール家のウードがいます。その後シャルルマーニュの系統であるカロリング家が途絶えるとカペー朝の時代となります。治めていた領土はバリ近郊のみでしたが、987年バリを中心としたカペー王朝がここで成立します。
シテ島にあった王宮が再建され、やがて王宮はルーブル宮(1190年〜城塞として建築がスタートした)へと移ります。しかしながら、この頃の王様は、実にあちこちを転々と動いていまして、バリに定住し首都となるまでにはもう少し時間が必要でした。
シテ島に人がすでに住んでいたことはカエサルのガリア戦記にも記録されており、バリ発祥の地とされているのも十分に頷けることです。
フランス史に限らないかもしれないのですが、英雄なのか悪人なのか評価が定まらない人が登場する。百年戦争の時代、パリの商人頭であったエチエンヌマルセルもその一人でしょう。王の権力に対抗して、果てはパリを掌中に入れるまでは後の共和制に通じる(中世のダントン!)気がしますが、結局は他国の王と通じて信用を失墜させてしまう。パリの市庁舎前に騎馬像がありますが、何かしら彼の生き様に想いを馳せることがあるのでしょう。
百年戦争、ユグノー戦争、三十年戦争・・いつも戦乱の最中にあるようなパリの歴史が、語られていきます。「そう言えばそれ世界史の教科書に出てたなぁ」という事件が多いのは、パリの歴史を語ることは、そのままフランスの、そして西ヨーロッパの歴史をなぞることになるからでしょう。
日本だって京都の歴史を辿れば、平安から室町・安土桃山までの歴史を見渡すことができるのと同じですね。
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