F・ショットレンダー著、石橋長英訳「エルウィン フォン ベルツ」を読む
東京医学所(東大医学部)教授、医学博士としての業績という、いわゆる専門分野を踏み越えて、ベルツ博士はさまざまな文化に興味を示している。
休日は乗馬、江ノ島まで遠出することもあったという。音楽は四部合唱団でベースパートを歌っていた。さらには日本の伝統文化に造詣を深め、造形美術や工芸品の蒐集に止まらず口伝の神話や童話の形で残された伝説に強い関心を持ったという。この広い好奇心のあり方が、どこか鎖国下で来日していたドイツ人医師シーボルトの残像と重なる気がしてしまう。
抜き書き本書p220〜
1896年2月26日の記念講演より
西洋の科学の世界は、決して機械ではなく、一つの有機体でありまして、その成長には他のすべての有機体と同じく、一定の気候、一定の雰囲気を必要とするものであります。・・彼等は科学の樹を植える植木屋たるべきであり、またそうなろうとしておりましたのに、科学の果実を切り売りする者として扱われました。・・・彼等から最新の成果をもたらす精神を学ぼうとはせず、最新の成果のみを受け継ぐことで満足していたのであります。・・
120年前のお雇い外国人教授が指摘する傾向は、あくまでも脱亜入欧=西洋に追いつき追い越せの時代だけの傾向だったのでしょうか?
令和の今、私たちは日本の風土に立脚した科学や文化を育んでいると言えるのか、再度自問が必要な気がいたします。