草野友子「墨子」を読む
非攻。墨子は侵略戦争を大量殺人と位置付け、なぜこれが不義でないのかと主張します。そして実際に戦闘集団を組織して、大国から攻撃を受けている弱小国の救援にあたるのです。実際にどのようにして城を守ればよいのか、その具体的な方法が書かれています。
墨子は職人出身であると言われていますが、概して貴族に批判的な論調が目立ちます。その例が厚葬久喪と音楽。長い期間喪に服することを批判しています。今日本ではコロナ禍以来家族葬が増えていますが、まるでその時代を見通していたかのようですね。音楽についても、それがどうして民の利益に繋がるのかと批判的です。貴族が音楽に親しむ様子とその影で人々が生活苦に喘いでいる矛盾が我慢できなかったのでしょう。
日本の鬼とは違うのですが、万人の行為を監察して、それに相応しい賞罰を与える鬼神について論じている。墨子は宿命論を否定しているのですが、その一方で鬼神という人間を超越した存在を信じている。この辺りはちょっと分かりづらいですね。
アヘン戦争の頃から中国は欧米列強や日本の侵略を受けてきました。その頃は科学技術面でものすごく差をつけられていたのです。では、自国の科学の源流派どこにあるのか、それを辿った結果が墨子でして科聖と呼ばれています。本書にも必要条件と十分条件に言い換えられる論理的な考え方や光と影の関係(レンズの学習)を論じた文が紹介されています。
しかし、思想史を辿ると後世に生き残るのは支配者が秩序維持に都合のいい思想ばかり。日本では江戸時代の朱子学がその例と言えましょう。兼愛を主張して階層社会に否定的であった墨子の思想は歴史の中に埋もれていったのです。