オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび691

杉崎泰一郎「修道院の歴史」を読む2

 


最初の修道士は250年頃にエジプトで生まれたアントニオスです。彼は隠遁生活を送りながら修行を続け、人々へ病気の治療や説教を行いました。まだキリスト教が迫害を受けていた時代のことでした。始めは単独だったのです。

290年生まれのパコミオスが他の修道士と共同生活を始めると、エジプトのナイル河畔に修道院ができます。バシレイオスによって共住生活の体系的な規則が決められる。

これらの東方型の修道院が西方=ヨーロッパ型へと形を変えていくわけです。

話はジャンプして前回の続き、フランク王国で皇帝の文化振興政策の一翼を担った修道院は、やがて領主たちの寄進を受けて巨大化していきます。日本では修行の場であったはずの寺社が荘園を各地に広がていく様子にどこか似ています。

本書では、まず祈祷典礼重視に傾いていったクリュニー修道院が紹介され、その後労働と学習重視のシトー修道院の様子、さらにアントニウスの修行に回帰するかのようなラ・グランド・シャルトルーズ修道院が記されます。

放浪編歴を重ねながら説教を続けているロベールには、どこか一遍上人の軌跡が重なるように感じます。

ところで、当初は徹底した生活管理に心がけて、清貧の中で日々祈りと労働の日々を過ごすはずだった修道院が、労働を補佐する人々を雇い、なぜか各地に支部が何百とできて、建物が立派になっていくのは、なぜでしょう。キリストがわずかな弟子を引き連れて説教をしていた時代から、巨大な宗教集団へと変貌を遂げていく過程に似ています。

信者が増え教団が大きくなることと、祈り本来の個人的な宗教行為を守り抜くこととは、二律背反しているように感じます。その矛盾の中で葛藤し続けたのが、中世西ヨーロッパの修道院なのでしょう。

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