漢籍にある程度通じていることが、教養人としての嗜みであった時代があったし、今もその伝統は続いているはず。本書前半では、漱石門下の墨子に対する見識の浅さを冷かしている。著者は漱石の遠い縁者なので、この程度の暴走は許されると思っているのでしょうか。
前回の拙稿683で、墨子の説く「鬼神」がわかりづらいと書いてます。悪行を働くと鬼神がそれを罰する。墨子は鬼神に出会った王の具体例を挙げている。一例目は無実の罪で家臣杜伯を殺した宣王。狩りで朱の服を身に纏い、朱の弓、朱の矢をつがえた杜白が現れるとその矢が宣王の胸を射抜き絶命してしまう。二例目は朝廷で政務をとっている王の傍に精霊が現れた話。精霊は明徳を賞して十九年の寿を与え、国家と子孫を繁栄せし給うと話した。非科学的で荒唐無稽なエピソードと断じるのは容易く、実際儒家と相容れないのは具体的な鬼神の存在を墨家が信じているところにある。
天譴説。皇帝や諸侯の世襲に対して墨家は、その不正を責め立てる。鬼神の天罰を恐れ、己の分を守って正しく業務に励むべしと言うのだ。最近日本でも二世・三世議員の皆様が活躍していますが、よくよく肝に銘じていただきたいですね。
人間を超えた存在を信じながら、墨子は運命論や宿命論には組みさない。運命は自分で切り拓くものであり、各自奮闘努力せよ! と説くのです。
ところで著者の半藤一利さんは昭和5年生まれ。バリバリの軍国少年として育った過程や戦前の教育内容が脱線話的に語られている。
本書後半で墨子の非攻思想に多くの頁が割かれていることは、墨子を通して平和を維持する術を見出したい著者の思いの現れでしょう
。
これは軍国日本から平和国家日本へと国策の180度転換を体験した立場から、墨子の思想を語っているのは自分の立ち位置証明だとも感じます。自身の体験を通して墨子の思想を語っているのです。墨子が生きていた時代から2500年。今の時代、そして自分の生き方に通用するところがあるか否かが、古典の読み方なのですね。それでこそ「墨子 よみがえる」となるのでしょう。