後藤明「ムハンマド時代のアラブ社会」を読む
本書の前半は、当時のアラビア半島において部族・氏族がどのように形成されていたのかを解説している。個人名が先に来て、続く名前は父祖の名前なのですね。
ほとんどが砂漠に覆われているこの土地は、建前上はペルシア帝国の支配下にあっても、実質その統治が及んでいるわけではなく、ムハンマドが政治的軍事的に統一国家をつくるまでは、国らしい体裁がなかったのです。
元来は多神教であったメッカの街に、突然現れたムハンマドが一神教を説き始めたので、街の有力者クライシュ族は迫害を加え始める。聖地カアバ神殿は元々多神教であった人々の巡礼地であり、それまでの神々を否定されることは巡礼地を訪れる人から得られる利益を危うくすると恐れられたわけです。
ムハンマドが、メッカからメディナへ移動したことをヒジュラと呼び、イスラムでは暦の基準とされていますが、ムハンマドに敵対するのは多神教の信者ばかりではありませんでした。同じ一神教を信仰するユダヤ教徒とムハンマドは何度も戦っている様子を本書は記録しています。生憎なことに元祖イスラムとユダヤ教、その対立が現在も抗争として続けられています。結果的にはムハンマドの類い稀なる政治的軍事的な才能をもってアラビア半島は統一に導かれたわけです。
ムハンマドがとても寛容な人物であったことは、人種を差別しない、奴隷解放を勧めたなどから伺えます。広くアッラーの神の前では、すべての人々は平等あることを説いたからこそ、世界的な宗教として広がったのでしょう。