オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび710

近衛龍春「九十三歳の関ヶ原-弓大将 大島光義」を読む

 


鉄砲伝来後、弓という武器の威力は少々不安定であります。ニ町先も射抜く光義の弓は、火縄銃が火薬と弾の詰め替えにかかる20秒間が勝負で、その隙を狙って矢を射なければならない。また接近戦に使う武器ではないので、実際に敵将の首を取るのは、歩兵の働きになってしまい、合戦場での評価が鑓(やり)の名手ほど高まらない。

小説の中で最初の大きな合戦は、斎藤龍興稲葉山城攻防戦で、斎藤・長井側の光義は奮戦するも負け戦。その後信長に仕えることになり、将軍を奉じての京都上洛。木下藤吉郎のもとでの六角氏と戦いや金ヶ崎の退き口、姉川の戦いの様子が描かれている。

弓の実力に飽き足らないのか、光義は興福寺宝蔵院で鑓の修行を始める。修行の成果は、本願寺攻めで発揮され、弓の名人は鑓を持っても強いことを証明する。

しかしながら、戦場で弓矢が活躍する時代が終焉を迎えつつあることを、光義はひしと感じている。いかに日本一の弓の名人とは言え、那須与一が敵味方からやんやの喝采を浴びた時代ではないのだ。関ヶ原後の戦いで弓矢が主力となった戦いをボクは知らない。けれど弓道は令和の現在も武道を愛する人々の中で息づいている。それは弓を射る姿勢や動きが、日本人の美意識を強く揺さぶるからではなかろうか。この小説では弓を射る正しい動きを詳述しているのは、作者自身が弓の道に惚れ込んでいるからでしょう。

クライマックスは、タイトルにもある通り93歳で出陣した関ヶ原の戦い。光義は家康側で参陣している。関ヶ原の戦い自体は、野戦だったのですが、光義が参加したのは大垣城攻め。93歳にして四本目の矢を外し、さらに敵に詰め寄られたところを息子に助けられる。とうの昔に隠居しておかしくなかった光義は、ここに至ってようやく隠居を決心することになる。

この物語には、幼なじみで許嫁であった富美という女性が登場する。富美も光義に引けを取らない弓の名人。その富美が作中光義を厳しい言葉で叱咤激励する場面が何度も出てくる。その度に光義は迷いを断ち切り、戦場に赴くのだ。

敵を倒すか自分が死ぬかの戦場は、過酷な場であります。生涯現役の弓名人として生き抜いた光義から天命を全うする尊さを学んだような気がします。

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