オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび714

福永文夫 「大平正芳 戦後保守とは何か」をkindleで読む2

 


棒樫財政論と小さな政府

 


大平正芳の掲げた理念のうち、現在でもなお政治の大きな課題となっているのが、小さな政府論。そのきっかけとなったのは、ある村長から大平の元に届いた手紙でした。

 


自分[和田村村長]のうちは、父が事業に失敗したので、当時中学に在学していた自分は退学した。大きい土蔵や物置は売り飛ばしてしまった。使っていた下男や女中は全部解雇した。事業に失敗した父としては、先ずこうするより他お家再建の糸口がなかったわけである。ところが、近頃の世相をみていると、国は惨めな敗戦の憂き目をみたのに、義務教育は、六・三制とやらで六年を九年に改める。公僕たる役人の数はふえる。国有財産を思い切って処分しようという勇断も見られない。これでは再建の目処が立たないではないか。    

樫の木の養分が足らないときは、枝や葉を切り落して、いわば棒樫にしないと、その樫の木は枯れるにきまっている。一先ず棒樫にすることが、樫の木の命を救い、やがて年月が経つに従い養分が増すに応じて枝や葉をつけ、やがては、鬱蒼たる大木に成長することになるのである。    

つらつら現在の世相をみて、深憂に堪えない。 (『素顔の代議士』)  

大平は、この献策が大蔵官僚として本来持っている「財政均衡主義」の考え方と合致するものであり・・・この献策に示された道理は大平の心の奥深くに刻み込まれた。  それはさらに、彼の「安くつく政府」、すなわち「小さな政府」につながっていく。

 


大平正芳ライシャワー大使

 


ライシャワーは大平について、どちらかといえば目立たない、内気な人物としてとらえていた。その後、交流を深めるにつれ「引っ込み思案であるように見えることによって目立った人物であり、人の後に追随するように見えることによって人を指導するような人物であった。これは、彼が未来についてのビジョンを持っていたからである」(『人と思想』)と、信頼をおくようになる。

 


派閥に対する考え方

 


前置きでもふれましたが、先の不記載問題を受けて宏池会は解散してしまいました。まだ派閥力学が大手を振って機能していた時代、大平正芳は派閥をどう捉えていたのでしょうか?

 


派閥の功を三つに分けてとらえている。一つは、政治家ないし政治集団の活動の根源である政治的エネルギー・活力を生む場所として、二つ目は政治権力の独裁をチェックする機能として、そして三つ目にサロンないしは勉強会的に気心の知れた者同士が、自由にモノを言い、親睦を深めるオアシスとしてである。

 


明日の投稿に続きます。

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