福永文夫 「大平正芳 戦後保守とは何か」をkindleで読む3
日中国交回復と金大中事件
日中国交回復と言えば、ときの総理田中角栄の顔写真が教科書に載っているが、外相として交渉を仕切っていたのは大平正芳。日本国内には親台湾派も大勢いるわけで、よくまぁ条約締結に漕ぎつけられたものであります。
もう一つ国家主権を揺るがす拉致事件、金大中事件が起きる。この事件に、対して韓国側からの謝罪は未だにない。また日本側も田中首相と大平外相の間で認識のずれがあり、決着がうやむやにされてしまった。大平自身としては悔いの残る対応であったろう。
ドルショックにオイルショック
70年代のニクソンショックまでは、1ドル=360円だった。それが変動為替となり、あれよあれよという間に円高が進行した。最近は円安傾向と言っても1ドル=158円くらいだから、隔世の感深しであります。
またこの頃は第四次中東戦争の最中で、OPECが石油価格に揺さぶりをかけてきた。アメリカ側に付くかアラブ側で揺れ動く政府内の様子が本書に描かれている。
日本列島改造論を引っ提げて華々しくスタートした田中角栄内閣も、狂乱物価と言われたインフレーションを招いてしまい退陣。
保革伯仲 大平幹事長
70年代の後半は、ロッキード事件など金権政治が明るみに出て、国民の支持は自民党から離反する。政治資金不記載問題で選挙に負けた近頃の自民党と似ている気がする。この頃大平正芳は福田政権下で幹事長を務めている。彼の手法は野党との話し合いを重視して妥協点を探ることだった。これも今の石破政権と似ている。大切なことはそれぞれの議員が選挙で選ばれて国会に来ているのだから、できるだけ多くの議員の意見を政策に反映させることなのだと思う。それを実践していたのが大平だった。
一般消費税導入を掲げて
消費税は現在なお選挙の争点になっている。財政再建のため消費税の導入を初めて閣議決定したのは、大平内閣だった。新たな税金を課すという誰かどう考えてみても、困難な政策を訴えて戦った選挙は案の定敗北。大平おろしの四十日間抗争が始まる。その結果国会の首班指名に同じ自民党から大平正芳と福田赳夫の二人が立ったのだ。大平は僅差で勝利し、引き続き政権を担う。ところが第二次大平内閣の時、社会党が提出した内閣不信任案に自民党内から多数の同調者が出て、不信任案が可決されてしまう。大平は速解散総選挙に打って出る。分裂寸前の自民党を一枚岩に戻すのは選挙が有効と踏んだのだろう。
しかしこの選挙遊説中、発作に見舞われた大平は倒れる。元々心臓に持病を抱えてニトログリセリンを携行していたのだ。入院が5月31日、息を引き取ったのは6月12日だった。大平正芳の急死の報を受けて、自民党内はにわかに一体化する。
ボクは当時教員生活2年目の若造であったが、自分たちが不信任に反対したことがきっかけとなって、大平正芳総理を追い込んだのに、弔い合戦とか叫んで気勢を上げている自民党候補者に対して、腑に落ちない思いが残ったものだ。結果は自民党の大勝。保革伯仲と言われた時代が終わる。
文化の時代研究グループ
大平正芳がつくった9つの研究グループの中の一つ。経済成長を追い求めていた時代から文化の時代への転換を思い描いていたのでしょう。石破総理が使うフレーズ「楽しい日本」と重なる気がします。
私見ですが、豊かさとは何か? 資金資産が集中したことにより利益を得る生き方ではなく、人として文化を享受しなからみずみずしい感性と感動を伴って生きていくことだと考えています。それは政治とかトップダウン型の教育により育まれるものではなく。一人ひとりが自分の確かな足場から創出していくものだと感じるのです。
大平正芳が夢見ていた未来像の中には、そんな生き方が見えていたのかもしれません。