関 眞興「一冊でわかるロシア史」を読む2
レーニン、トロツキー、スターリンなど革命を主導した人。ボリシェベキとメンシェベキ・社会革命党を中心とする議会内の主導権争い。さらには第一次世界大戦下での諸外国との関係。これらを整理しないとロシア革命の全体像はなかなか理解できない。
世界史上もう一つの大きな革命であるフランス革命が次々にリーダーが変わりながら、最後にナポレオンに行き着いてしまったこと。革命をどういう方向に導くのか、大きく揺れ動いていたこととロシア革命を比較してみたい。
ボリシェベキのレーニンが革命のリーダーとしてソ連を実現した経緯を追ってみましょう。
当時のロシアは内憂外患そのもので、ドイツと戦い、国内では食糧難からデモが多発。300年ロシアを支配し続けたロマノフ王朝は遂に幕を閉じ、臨時政府が樹立される。ここまでが二月革命。帝政から共和政への移行とみられます。
続いて共和政の中心人物ケレンスキーを武装蜂起によって排除する十月革命が起きます。
トロツキー率いる赤軍が活躍し、勤労被搾取人民の権利の宣言が採択され、ロシア社会民主党はロシア共産党に名称変更します。これらの動きによって世界に前例のない社会主義国が誕生したのです。ソヴィエトです。
ところが革命を主導したレーニンの死ぬと、トロツキーを押しのけてスターリン専制の時代に入る、だんだん革命の本義は何だったのか、怪しくなってきてしまうのです。
おそらくは人類史上、最大の試み・実験であった社会主義がなぜ頓挫してしまったか。
風通しの良さ、組織の硬直化、何よりも閉塞感と自由への渇望。これらがスターリンの時代からすでに始まっていたように思います。
ゴルバチョフがペレストロイカやグラスノスチを推進したことで、結果的にはソ連が崩壊してしまいます。
しかしながら、ソ連がなくなっても社会主義を標榜する国は、いくつか続いていますし、もちろん思想そのものが不要になったわけではありません。貧富の格差がますます拡大していく中で、自由と平等をどのように両立させていくのか、大きな宿題と向き合い続けていかなければならないのです。