和田春樹翻訳「レーニン・セレクション」を読む1
本書は、平凡社ライブラリーとして昨年1月に出版された。ソ連という国は、とうの昔に地球上から消え去り、マルクス・レーニン主義として学ばれた思想体系も極めて不人気な中で、何故今さらレーニンの本が出版されたのだろう。
まえがきに芥川龍之介のレーニンに対する次の詩が引用されている。
誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を軽蔑した君だ
読み進めるうちに、学生の頃によく目にしていた文体を思い出した。そう、某過激派諸君の撒いていたアジビラの文章に似ているのだ。正しくはアジビラの書き手が和田春樹氏の書きぶりを真似ていたというべきかもしれないが、50年ぶりに目にした文体だった。
引っかかったのは、レーニンが農民と距離を置き続け、あくまでもプロレタリアート独裁に拘り続けていたことと、帝國主義への理解が当初浅かったことだ。
さらにはスターリンやトロツキーの弱みがわかっており、後継者への憂いを感じながら、自分自身が死を迎えてしまったこと。
農民は、プロレタリアートのように生産手段を持たない無産階級ではない。レーニンの個人的な体験を辿れば、1889年レーニンは5ヶ月間農場の経営に携わるが、うまくいかなかった。彼は革命期間を通しても農民勢力と一定の間合いを保っている。レーニンには農民の思いや願いを受け止めきれないという限界があったと言うと言い過ぎだろうか。
明日の投稿に続きます。