オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび734

井上寿一「教養としての『昭和史』集中講義」を読む2

 


「満蒙は日本の生命線」と危機意識を煽ったのは、かの松岡洋右でしたが、これは蒋介石政権と条約が結ばれ、中華民国との通商が盛んになり満州との交易が見捨てられてしまうことへの危機感であったと本書は書きます。

その背景には軍縮によって軍人たちがリストラされることへの困惑もあったと本書は書いています。そして満州事変が起きるのです。

予算の決定権は議会にあるのですから、軍部の暴走を食い止めるため、民政党は政友会に協力内閣構想を持ちかけます。しかし、民政党内に反発があり、その話は立ち消えになってしまいます。政党政治が命脈を保つタイミングが失われてしまったのです。

そして5・15事件が起きて、首相の座に就いていた犬養毅が暗殺されます。満州事変を日本の外で起きたクーデターとすれば、日本の内側でもクーデターが起きたのです。ボク的には濱口雄幸首相が襲われた時から不穏な感じがするのですが。

5・15クーデターの後、日本は軍部独裁への道をひた走る・・という流れが教科書の記述。けれどもまだ政党政治復活の可能性はあったと筆者は熱く語ります。

話は国際連盟脱退へ。有名な松岡洋右の退場場面に移ります。現在もそうですが非難決議が圧倒的多数で可決されても脱退する必要はないし、しかも猶予期間が定められている。

盧溝橋の軍事衝突に端を発する日中戦争(現在は戦争と

教えられているが、日中両国ともアメリカからの支援を当てにしていたため、宣戦布告していない)ここで早く事態を収拾したい近衛首相の思いと共にトラウトマン工作の話が出てきます。まずは戦争が停戦に至っていないのに交渉する難しさ。また蒋介石が日本の侵略から中国を守ろうと強い態度で応じたこと。結局数度にわたる交渉は不成立に終わり泥沼の戦闘が続くわけです。

日本国内では、南京を占領した時点で敵の取得を落としたのだから、勝ったと報道されたようです(当然国民は沸きます)が、蒋介石重慶に政権の場所を移して戦い続けたのです。関東軍は北のソ連軍への備えも意識しており、自分たちで拡大した戦線がどうにもならない状態に陥ってしまいます。

 


明日の投稿に続きます。

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