中村哲「わたしはセロひきのゴーシュ」を読む2
用水路を引くのなら、農業土木の業者に発注する。それが日本の公共事業の考え方です。しかし、中村さんは日本の古い農業土木技術に学び自分で工事を設計してしまう。働く人は現地の難民の皆さん、給料はペシャワール会から支給されました。その他井戸を1300本以上掘り、35万人が村を離れずに済みました。
なぜ水プロジェクトなのか。それは清潔な水さえあれば、下痢で次々に死んで行く子どもたちを救えるからです。高い薬を使った病気を治すより、そもそも病気にならない方がはるかに経済的だからです。
アフガニスタンの二つの診療所が活動停止に追い込まれた背景は、アルカイダ討伐として派遣されて来たアメリカ軍による軍事行動です。中村さんは訴えます。「軍事活動によってよくなった地域は一つもなかった。軍事活動が入ってくるところはますます騒ぎが大きくなり、死亡者が増える。加えて福祉活動も困難になる。」と。
「希望はけっして人の世界にはなく、事前の恵みあるのだ」(中村哲)
アフガニスタンは元々は農業国で農産物を輸出するできる生産量があり、自給自足の国だった。ところが旱魃で畑に水が流せない。現地の人は収入を得るために傭兵になるわけです。タリバン、反タリバン、中には米軍も。けれど軍隊に入ることは殺し合いに加担することですから、農業に戻ることができれば、それに越したことはないわけです。中村さんの引いた用水路で畑が潤い大勢の人(難民)が村に戻ってきました。
平和とは力づくの殺し合いによって勝ち取るのではなく、自然と共存できる環境を整える方が先決ではないのかと、本書を読んで深く感じるところです。
国際協力などと国の名前がチラつくと大きなお金や軍隊は動いても、肝心の地元地域の願いとすれ違った事業になってしまうことがある。国際協力よりも地域協力。大地に根を張った地道な活動は、自分自身を物語の主人公に重ね合わせていた宮沢賢治の目指していたところに近い気がいたします。
