大島隆之「ヒトラーの時代を生きる」を読む2
ヒトラーが首相に就く直前、ドイツの失業者は600万人を超えていた。ヒトラーはアウトバーン建設という巨大な工業事業を始め、大企業や高所得者への増税を行い、さらには大量の国債を発行した。これらの政策はドイツ国民は歓迎し、1939年ポーランド侵攻以前のヒトラーの政策はよかったと捉える人々が今でも一定数いるくらいなのです。
この時期、演説会場に行かなくてもヒトラーの声や表情にふれることが出来るメディアが登場する。ラジオ(=国民受信機)と映画。この媒体を最大限に活用して、各家庭はヒトラーの演説会場となったのです。
1934年ニュルンベルクでの少年少女(ヒトラー・ユーゲント)に向けた演説。「・・将来のドイツに階級や身分はいらない。そのようなものを諸君の中に育ててはならない。我々はひとつのドイツを求める。その時に備えて心を引き締めてほしい。・・・平和を愛すると同時に勇敢でなければならない。まず平和を愛することだ。平和を愛し従順かつ勇敢であるように。・・」
5年後第二次世界大戦を始めた男は、何と少年少女に平和を説いているのだ!
ヒトラーのヘイト政策の中で、最も大きな傷跡を残したのはユダヤ人迫害でありましょう。本書の中には、ある日突然「ユダヤ人野郎!」と罵声を浴びせられたことにより、自分の出自を知った男性の証言が出てきます。彼は「海のヒトラー・ユーゲント」に所属していたのですが、自分の祖父母が全員ユダヤ人であったため「完全ユダヤ人」とみなされてしまったのです。
ではドイツ人とは、何なのか? ヒトラー曰く「アーリア人」なのですね。アーリア語族とかセム語族とか母語を元に語族を分類していた定義を、広くて民族に拡大する。さらにそれをドイツ人の優越性と結びつけようとするのは、かなり無理な論法だが、ユダヤ人と対峙する人種概念としてアーリア人を持ち出してきたわけです。
そもそも人種がヘイトと結びついている例は、現在でも後を絶たない。自分の出自は自分自身で解決し乗り越えることができる属性ではないわけで、差別が世代を超えて連鎖してしまう。断ち切るためには、結局教育に委ねるしかないのでしょうか?
「平和」ほど、人々が待ち望み願う言葉はない。およそヒトラーの引き起こした事態とは真反対であります。しかし、1930年1月30日ラジオ放送における13分の演説でヒトラーは15回も「平和」という言葉を用いている。まるで全ての行動は平和のためとでも言うかのように。
明日の投稿に続きます。
