クーデターによる政権奪取では信任を得られたことにならないと感じたムッソリーニは、選挙制度を大幅に変えて、総選挙を行いファシスト党は議会で圧倒的な多数を占めることになります。
マッテオッティという社会党書記長は、選挙の無効を訴えますが、ファシスト党の党員に殺害されてしまいます。野党は国王にムッソリーニの解任を求めますが、国王は応じません。報復だったのでしょうか、今度はファシスト党の党員が電車の中しかも娘の前で殺されてしまいます。
この混乱の収拾をムッソリーニは、独裁宣言によって図りました。1925年1月3日のことです。独裁を宣言する演説の内容は、開き直りのような感じでいただけないのですが、野党からこれという抵抗もなく、議会制度は消滅してしまいました。
実際の政策をみていきましょう。ネオ・コーポラティズム。国家と労働組合と経営者団体が協働して経済政策を行いました。格差・貧富の差が拡大したら、国家の介入も辞さないというのは、ひょっとすると21世紀の現在にも有効な政策のように思えます。続いてラテラノ協定によって、長年続いたイタリア王国とローマ教皇は和解し、今のバチカン市国ができたのです。
また本書は、ヒトラーのナチズムとムッソリーニのファシズムの違いを書いている。ヒトラーは排他的でアーリア民族優越論だったから、心の底ではアメリカやイギリスと手を結びたいと願っていた。(それならなぜロンドンにミサイルを撃ったのか)
対するムッソリーニは多元主義的で、世界再編のための戦争という捉え方だったので、大東亜戦争を標榜する日本に対して親近感を抱いていた。
またヒトラーは障がい者を安楽死させていますが、ムッソリーニは保護しています。
ムッソリーニに教育者としての資質があり、ドゥーチェと呼ばれた背景に、演説者としての三つの特徴があった、新聞記者ウゴ・オイエッティによると①文法上正確な話し方②印象的で鋭いアフォリズム③安堵感を与える断定的な発言の連続であります。彼は師範学校を出ているのですが、人にわかりやすく浸透しやすい話し方を身につけていたのです。思想の傾向は違うけれど、毛沢東が師範学校で学び、実際初等中学校で教えていたことが思い出されます。
明日の投稿に続きます。
