サンディカリスム。労働組合による経済管理が語られる。ムッソリーニがスイス放浪時代にソレルの「暴力論」にふれて共鳴している。後年イタリアのファシズムでは組合に国家が介入する。
ボクが学生だった頃、鎌倉にあった大学の寮に泊まりに行くと、ひと癖ありそうな先輩が自主管理について熱弁を奮っていたのを思い出す。まだ労働組合の力で資本主義の矛盾が解決できると信じられていた時代の話。(今も?)
ムッソリーニが社会主義から離れた理由を、本書では「生の哲学」、つまりニーチェやデュルタイの影響を受けた反合理主義とみています。資本主義も社会主義も結局は合理主義であり、その行き着いた先が21世紀の現代社会なのです。「答えはAIに聞けばいい」という発想は、まさに究極の合理主義ではありませんか。
このブログを書いているボクのベクトルは「答えは結局自分で探すしかない」です。反合理主義は色々な正解から自分を解放してくれますが、その先は個人レベルでは、自分の感性や思考の積み重ねがいつも試されている未来なのです。それを国家レベルで論じる勇気は、今のボクにはありません。
第5章で、トロツキーを実例に挙げながら、マラバルテの「クーデターの技術」というタイトルからして危険そうな書物が紹介される。実際あまりにも危険なため著者は、牢獄に繋がれたり流刑の身になったり、迫害を受けたりと大変な目に合うのですが。
さて最終章は「日本でファシズムは可能か」。おそらく著者はこの章を書きたくて、延々ファシズムについて述べてきたのであって、時間がない読者は最終章だけ読んでもいいでしょう。ネタバレですが著者は日本ではファシズムは不可能であると戦前の状況を語りながら断じています。
しかし、安心するのはまだ早い。中間共同体の再建こそが、グローバル資本主義からファシズムへの流れを止める手段だと言うのです。ところが宗教団体、労働組合、業界団体、地域の寄り合いやサークルなどの中間共同体が力を失い消滅寸前にあることは自明です。私たちは、国家の暴走から個人を守る中間共同体に期待し、それらを今更ながらに再建することができるのでしょうか。
ボクが言えることは、SNSによるネットワークには、権力の暴走を止める力はあまりなさそうだということです。
