オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび768

エドワード・W・サイード 島弘之訳「パレスチナとは何か」を読む1

 


ディアスポラ。それはパレスチナを追われていた長い時代のユダヤ人だけに当てはまる言葉ではない。国がない。それはどのように人を追い込んでいくのか。現在でも、なにもパレスチナ人に限らない。例えばクルド人だって。世界中でその存在が脅かされている少数民族は、同じような状況でしょう。

 


本書は訳文のせいもあるでしょうが、表現が極めて婉曲的で、まどろっこしい印象が拭えません。しかし、その書きぶりこそがパレスチナ人が自分を表現する言い回しとして身につけたものであることがわかってくる。

 


世界史の復習のようになりますが。ヘブライ・アラブの歴史の中で2つの転機があると思います。

 


7世紀にイスラーム教勢力が勃興、正統カリフ時代の638年、イェルサレムイスラーム教勢力によって征服された。これによってパレスチナも急速にイスラーム化した。イスラーム教はアラビア語で書かれたコーラン聖典とし、アラビア語で教えを説いたので、この地の住民もアラビア語を話す人々、つまりアラブ人と同化していった。 だだし、ユダヤ教徒キリスト教徒はいなくなったわけではなく、人頭税を払うことによってその宗教を守ることが許され、イェルサレムは依然としてユダヤ教キリスト教イスラーム教にとっての聖地として存続し,彼らは混在して生活していた。十字軍がやって来るのはこの後の話。

 


もう一つは、イギリスの植民地政策(二枚舌外交)に起因する問題。

 


 第一次世界大戦では、オスマン帝国はドイツなどの同盟国に加わったので、イギリスとの間で戦争状態に入った。イギリスは、エジプトのカイロを拠点として、盛んにオスマン帝国領のパレスチナに軍事攻勢をかけ、さらにアラビア半島のアラブ勢力を反オスマン帝国の蜂起を促すなどの工作を行った。また、イギリスは、戦争を遂行する上でユダヤ資本の援助を必要としてバルフォア宣言を発してユダヤ人のシオニズムによる国家(ホームランド)の建設を約束した。その一方で、アラブ人に対してもフセイン=マクマホン協定を出して大戦後の独立を約束した。

 イギリスのパレスチナ政策は矛盾するものであったため、後にユダヤ人・アラブ人の双方が主権を主張することとなり、このイギリスの「二枚舌外交」が現代に続く「パレスチナ問題」の原因となった。さらにイギリスは、実際にはそのいずれにもただちに独立を認めることはなく、これも大戦中にフランスと密約したサイクス=ピコ協定によって西アジアを分割する意図を持っていた。

 


このイギリスの姿勢が、現在の事態の遠因になっていることは疑いないところでしょう。

 


本書の作者サイードもイギリスの植民地時代に生を受けた人なのです。

 


明日の投稿に続きます。

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