ブレイディみかこ「他者の靴を履く」を読む1
ボクたちが暗黙のうちに、大切で善い概念として刷り込まれて言葉がある。「多様性」とか「共感」とか「みんな違ってみんないい」とか、教育の世界で都合よく使われている言葉に多い。
それらの正義っぽい言葉に、疑問符を貼り付けるところが著者のスタート地点だろうか。
著者の息子は学校で、「テロやEU離脱や広がる格差で人々の分断が進んでいるいま、エンパシーがとても大切です。世界に必要なのはエンパシーなのです」と教わったそうだ。
ボクは上の言葉に付け足して、息子さんに次のような一言を贈りたい。「分断は身近な空間にもありませんか。あなたの学校ではいじめられている子に対して、エンパシーに基づいた行動がとられているのですか」と。
他人の靴云々の前に、著者は自分の靴について、アナキスト金子文子のエピソードを引き合いに語る。家族・学校、民族・国家という一切の所属先から外れた立ち位置にいた文子は、自分の靴を自由に履いたり脱いだりすることができた人であったと。
「『自由』になれば、人間は『他人の靴を履く』こともできると思うんです」福岡伸一
Therapeutic Community(セラピューティック・コミュニティ)。「治療共同体」「回復共同体」と訳されるもので、メンバーが互いに影響を与え合うことで人間的な成長を促すアプローチ。依存症や暴力などの問題を抱える人々が、当事者同士の「対話」を通じて自己と向き合い、新たな価値観や生き方を身につけることを目的とします。
この手法は、精神病院で始まり、刑務所やリハビリテーション施設などで広く行われており、・・本書には日本の島根あさひ社会復帰促進センターの例が出てくる。
そしてその実例を挙げながら、カロリン・エムケの言葉を引用しながら、次のように続く。自身の継続的なアイデンティティが証明され、確認され、問われるのは、他者との会話においてなのだ。他者との会話によってはじめて、体験したことを理解し、それを経験として形式化することが可能になる。人間のあらゆる特色や相違点、類似点、多様性──すなわち個人性──は、他者の承認または拒絶を通して初めて浮き彫りになるものだ。
受刑者によるロールプレイの結果、言葉を失っていた「鉄仮面」か、自分の言葉(=感情[を取り戻していく様子を描いています。
演じるという行為は「他人の靴を履く」ということなのでしょうか。
明日の投稿に続きます。
