オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび772

ブレイディみかこ「他者の靴を履く」を読む3

 


当たり前だが災害が起きると生活は不便になり、快適ではなくなる。「楽しいか、悲しいか」の基準でいえば、楽しくはないし、悲しい体験が増える。だが、そのネガティヴな環境の中で、互いに生き延びるために自然発生的な相互扶助のネットワークが生まれ、見知らぬ人々と友人になり、惜しげなく物資を分け合い、思いもしなかった自分の回復力に驚かされる経験から得られる感情は、「楽しいか、悲しいか」の尺度ではとても計れない。そしていままで見たことのない「何か」が生まれるのはこの深い感情が支配する領域なのだとソルニットは言う。

 


また別の箇所でこのように書いている。

 


「日常生活はすでに一種の災害であり、実際の災害はわたしたちをそこから解放する」からだと解き明かした。日常的に経験される喪失や欠乏、危険な出来事はそれぞれの人間の上にばらばらに発生する。しかし、緊急時にはそれが広く共有されることにより、サバイブした者たちの間に親密な連帯感が生まれ、社会的孤立が解消し、心理的・物理的な助け合いが生まれて安心感と信頼感に心が満たされる。

 


そうなるといいけどなぁと感じながら、上の文を読みました。

そしてこの本には避けて通れない概念として「迷惑をかける。」という言葉があり、案の定その話が出てきます。

 


「迷惑をかけたくない」という日本独自のコンセプトは、一見、他者を慮っているようで、そうでもないのだろう。人を煩わせたくないという感覚は、ここに書かれている通り、人に煩わされたくもないという心理の裏返しだからだ。

 


バイアスがかかる言葉について述べていく中で、日本社会のおじさん、おばさんという言葉に言及している箇所(以下)があり、正々堂々おじさんであるボクには興味深かった。

伊丹十三による「おじさん」の定義を紹介し、親の価値観や物の考え方に閉じ込められている少年のところに、ある日ふわっとやって来て、親の価値観に風穴を開けてくれる存在、それがおじさんなのだと言っていた。 「親とか社会が教えてくれる正しいことじゃないことをいつも遊びながら教えてくれる人。それがおじさんなんです」 「僕たち(つまり日本社会)には、いま悪いおじさんが必要なんだ」

 


明日の投稿に続きます

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