ブレイディみかこ「他者の靴を履く」を読む4
本書ではAIについて次のように述べている。
どれほどAIが進化して人間よりも適切な判断を下すことができるようになったとしても、企業のトップに据えることはできないだろう。人間がAIの靴を履くことができるようになるまでは無理だ(もちろん、そうなる日が来ないとは誰にも言えない)。
筆者は、エンパシーの負の部分を指摘しておくことを忘れていない。表裏両面あることを記述することで、ただの○○礼賛論に陥ることを避けているのだ。本書から気になったところをピックアップしてみます。
加害者が為政者で、被害者が民衆。悪政が行われている場合にも、エンパシー体質の人々は権威に支配され続ける。そして、権力に反旗を翻そうとする人々を「わがまま」と言って糾弾することにさえなるのだ。 そうなってくるとエンパシーに満ちた社会はたいそう抑圧的な場所になる。確かにこれはエンパシーのダークサイドであり得るだろう。逆に、わがままで自分勝手な人の多い社会のほうが自由で解放的な場所にさえ見えて来る。
別のところではテロリストも、敵対している2つの勢力のうちの片方に対して、強いエンパシーが働いているとの説を紹介している。
エゴイスト。誰もが知っているつもりのこの言葉を、ちゃんと学んだ経験がボクにはない。マックス・シュティルナーの唯一者の概念を延長していくと、個人は国家からの干渉を受ける存在ではなくなり、社会主義も資本主義も否定したアナキズムに偏っていくのだろう。しかし、わがままを認めて許し合える社会から私たちはずいぶん遠く離れてしまった気がします。
著者には保育士としての職歴があるのだが、最後の方で教育について語っている。
マスメディアは、教育成果として学力検査の結果の上がり下がりやいわゆる難関大学と言われる大学への合格率を熱心に伝えている。しかし、その一方で不登校の子が増え続けている事実や疲弊しきっている教員の現状を報道している。
教育がとても不自由な状況下にあることがよくわかる。本当に子どもたちが自由を獲得するための教育はどうあったらよいのか、ボクなりに考え続けていきたい。
