オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

長い長い追いかけっこを走りきった加藤和彦の死を悼む〜3

 日本のバンドが海外で、世界的に人気を博しているバンドと互角に張り合う。そんな夢のようなバンドが、70年代の日本に存在した。これまた加藤和彦率いる伝説のスーパーバンド「サディスティック・ミカ・バンド」である。

 海外で演奏して成功したバンドと言えば、もう少し後のテクノミュージックで売り出した「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を想起される方が多いだろう。だが、それに先行した「サディスティック・ミカ・バンド」の実績は、とても不思議な足取りを辿っている。
 
 おさらいのようになり恐縮だが、ミカとは、当時の加藤和彦の妻加藤ミカのことであり、バンド名はジョン・レノンオノ・ヨーコといっしょにやっていた「プラスティック・オノ・バンド」に少なからず影響されたものだろう。バンドのファーストアルバムの売り上げは、当初数千枚という淋しいものだったが、日本よりも先にロンドンでの売り上げが伸び、アルバムが逆輸入されるという前代未聞の現象を引き起こしている。

 バンドメンバーも凄いの一言に尽きる!当初夫妻+つのだひろの3人でやっていたものが、ドラムが高橋ユキヒロ(ご存知YMO)に代わり、ギターに高中正義が加わり、後にも先にもあり得ない陣容が実現し始める。このとんでもないメンバーで、これまた凄いアルバムが製作された。そのタイトルは「黒船」。日本の音楽史上に燦然と輝くこのアルバム先進性は、これからも長く人々に語り継がれることだろう。

 さらに、当時世界的に人気を博していたブライアンフェリー率いる「ロキシーミュージック」と組んで(前座ではあるが・・)、全英ツアーを敢行。ロキシーミュージックを食ってしまったという伝説のライブを展開した。

 その後も映画音楽・歌舞伎・ゲームミュージックと幅広く自分の可能性を模索し、常に先頭を走り続けてきた加藤和彦

 加藤和彦とその後を追いかけるミュージシャンとの長い長い追いかけっこは終わった。彼が自ら切り拓いた地平の先に、何が見えるのか?トップランナーが去った後、その向こうを見届けるのは、後に続く者達の責務であろう。

 長い間、お疲れさまでした。そしてありがとう。合掌。