オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

オヤジのあくび279

頑張った結果に責任がもてますか? 3 受験能力は努力した量の一部を図ることであって、努力の質を問うことができない。 つまり受験能力とは18歳時点の最大瞬間風速のようなもの。その先さらに発達するか? 急速に弱まるか? は人によりけりでよくわからない…

オヤジのあくび278

頑張った結果に責任がもてますか? 2 あまり頑張ってこなかった話その1。ボクの場合、小学生の頃唯一社会科が好きでした。それは毎日地図帳や時刻表を擦り切れるまで読んでいたせいで、勉強した結果ではありません。サッカー少年大空つばさくんがボールは友…

オヤジのあくび277

頑張った結果に責任がもてますか? 1 今頑張ろうとしている人、やってみないとわからない。そりゃそうですね。 頑張れと声をかけ続けている人、保護者、指導者あるいは先輩であるあなたは頑張った結果を予想することができるかもしれません。その結果に責任…

オヤジのあくび276

鈴木カツ「こだわりアメリカン・ルーツ・ミュージック事典」を読む 白状してしまうと、Facebook上で4月末ごろに連載? していた「カッコいいぜ アメリカンミュージック」のネタ本です。 もちろん大いに刺激を受けて、楽しませてもらいました。著者は茅ヶ崎市…

オヤジのあくび275

内田樹「修業論」を読む2 我執を捨て去る! に話題が移る。意思、計画、予断をもたなければ、木偶の如く愚者の如く木鶏の如く我執を捨て去る私になることができると著者は説く。木鶏と言えば、大横綱双葉山が69連勝後に敗れた時「未だ木鶏に及ばず」と語った…

オヤジのあくび274

内田樹「修業論」を読む まえがきで著者は語る。努力を一種の商取引のように感じている人には修業はわかりにくい。修業して獲得されるものとは、修業を始める前には意味不明で、意味価値は事後的回顧的にしかわからないのだから。 修業とは、誰もいない自分…

オヤジのあくび273

山鳥重「気づくとはどういうことか」 いのちとは? こころとは? という深い問いが第一章で語られる。こころは、脳の働きなのか? 神経網との関わりはどう説明できるのか? に著者は果敢に挑んでいらっしゃる。すると創発という言葉が出てくる。物理化学的な…

オヤジのあくび272

菅義偉「政治家の覚悟」を読む 頑固者、正義感の人、「なあなあの馴れ合い」で誤魔化すのが大嫌いな人という輪郭が浮き上がって来る。 菅さんは2世議員ではなく、横浜市会議員から国会に出て総理になった人だけど、この本では、国会議員として政務官や総務…

オヤジのあくび271

肩書き・敬称としての先生 先生に限らず、社長、大臣etc、肩書きで呼ぶべき人は多い。本当は「〜さん」でもよさそうだが、格好がつかないらしい。これは、本当にその方を尊敬する信頼しているかどうかとは、別問題の場合がある。 教師という職業について言え…

オヤジのあくび270

赤瀬川原平「老人力自慢」 この本は前世紀の末に売れた「老人力」という本の続編であります。1999年ゲンペイさんは、現役引退とか定年退職後とかの機会をとらえて「これからの人生は、お金以外の価値を見つけられるかどうかにかかっているのだ」と書いている…

オヤジのあくび269

西岡常一・小原二郎「法隆寺を支えた木」2 後半は、小原二郎先生の「木」という材料に関わる話。さまざまな分析結果が示されているが、木という生き物の仲間と共に呼吸しながら生きていく日本人の文化が大きく変化していることへ懸念を示されているように感…

オヤジのあくび268

西岡常一・小原二郎「法隆寺を支えた木」1 教員退職後に木工職人を生業にしている友人がいて、私は琵琶などのメンテナンスでお世話になっている。空手の達人でありピアノは私よりずっと上手くて、子どもらと合唱するときはよくサポートしていただいた。たま…

オヤジのあくび267

村松友視「老人の極意」を読む 村松友視さんは、プロレスのエッセイで人気作家になる前は、中央公論社の編集者だった。私にとって編集者というのは、かなりクリエイティブな仕事のように感じるが、いろいろな人に会い、その人のおもしろさを見つけ、世間に紹…