オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび643

村道雄「縄文の列島文化」を読む

 


今も昔も日本独自の文化がある。何と三万年も前に日本独自の石器が使われていた。刃部を研磨した石器でナイフのように動物を狩る際に用いたらしい。

ところで私たちが資料で学んだ竪穴式住居のイメージは屋根が茅でふかれている。しかし、それは先入観であって本書を読むと縄文時代の住居の屋根は土でふかれていたらしい。それなら火災にも強いだろう。研究者は知っていても一般の人は誤解したままのことは他にもありそうだ。

遺跡というと、まずは建物群や土器に注目するが、本書はまず松島湾宮戸島の調査を元に、季節ごとにどのような食べ物をどのようにして食べていたのかを、詳しく解説している。今のような暦こそないが、植物を観察することで季節を把握していたのだろう。また貝塚を詳しく調べることで縄文の食生活がわかるのだ。春にはフグを食べていたというが、何とフグの毒の処理の仕方は縄文の頃から知られていたのだ。

著者の視点は、海から山へ。縄文の里山へと向けられる。縄文人が植林していた木にクリがある。実を食べる他、建物の柱、焚き木として使っていた。さらにはエゴマやダイズも栽培され、川を遡上するサケを捕っていたのである。

飽食に明け暮れしている現代人の食生活からは粗食に見えるかもしれないが、自然からいただいたものを自然に返していくことで、縄文の食生活はサステナブルだったし、事実一万年続いているのであります。

さて続いて語られているのは、縄文時代の物流・交流について。三内丸山遺跡を見学した時にも遥か遠方で採れる黒曜石が、三内丸山で見つかることに、物流ネットワークが広範に渡っていたことに驚かされたものだ。採掘→加工生産という品物の流れを、工房と思われる遺跡を辿りながら、著者は物流ルートを想定していく。それにしてもずっと言われてきたように、流通方法は物々交換やプレゼントだったのだろうか? 商売や富の蓄積がなかった時代に、何が物の流れを生み出していたのか? 興味が尽きない。

最終章では、縄文人の葬送法が現代に至るまでどのように引き継がれているのかが書かれている。キーワードは山、土、石だろうか?

近年まで山全体を墓としてきた人々がいる。ボクの場合母方の祖先は山に葬られていたようだ。土葬については荼毘に付すという過程のあるなしに関わらず、結局は土に埋葬されている。日本人は墓石を建てることが多いが、石が神の依代であるという信仰が背景にあるのだろう。

縄文文化統一国家としての体裁を整えていく過程で、次第に地域ごとの多様性を失ってしまう。けれど一万年に及び続いてきた文化の流れは、きっとまだ私たちの生活の奥底に隠れている気がします。

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