タケさんの雑記帳

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび401

井上ひさしボローニャ紀行」を読む

 


旅の初めからスリに鞄を盗られる。私も若い頃にイタリアで似たような酷い目にあった事を思い出してしまった。

この紀行文が書かれたのが、2004年頃。ちょうどサッカーセリエAボローニャ中田英寿が活躍していた時期と重なっていて、彼の名前がちょくちょく顔を出す。中田英寿を引き留める材料がボローニャ大学。知る人ぞ知るヨーロッパ最古の大学。いろいろな国からローマ法を学ぶためにやって来た。彼らは国毎に組合を作って教授を選ぶ。ラテン語のウニウェルシタスがユニバーシティになるのだけれど、元々は自治組合のことだったのですね。

作者はボローニャのあちこちを巡り、そこに根付いている人々の生活スタイルを丹念に取材している。そこから井上ひさしさんがこの街に惹きつけられた理由が浮かび上がってくる。文中には直接言葉として書き込んでいないが、それは共生社会としてボローニャが刻んできた歴史だと思う。

最後に個人的に見過ごせないのが、作者が訪れた当時のイタリアの学校事情。1クラスの定員は20人で担当教員が3人いるのだそうだ。翻って日本は当時も40人学級、もちろん担任は一人。教員の多忙化実態はますます酷くなるばかり。これでいいのか? 日本の教育!

オヤジのあくび400

鬼頭昭雄「異常気象と地球温暖化」を読む

 


前半は理科の教科書的に、地球の気候について説明される。ミランコビッチサイクルが紹介され、地球の公転軌道の離心率や自転軸が長いスパンで変動していると説明されると実に宇宙規模の大きな話だと実感できる。現在、私たちは氷河期の小休止の時代に生きていて、地球は過去も温暖と寒冷を繰り返して来たのだけれど、今の温暖化は確実に人為による二酸化炭素排出が影響していると言う。

現在その渦中を生きているわけで頷かされる話が多い。しかも地球規模でシミュレーションされているので、ど素人のボクはそのスケールの大きさに驚き平伏してしまう。けれどそのスケールの大きさにたじろぐことなく大自然に対して、鉄粉を海洋に注入し植物プランクトンを増やして海洋の二酸化炭素吸収を増やす海洋肥沃化。大気中成層圏エアロゾルを撒き散らし、地上に届く太陽エネルギーを減らすアイディアがあるらしい。後者は大規模な火山爆発に起きる地球の冷却化をモデルにしているようだ。人類がしでかして来た失敗を言い訳しながら何とか取り繕う姿のようだ。何と言ってもその結果地球環境がどうなってしまうのか、よくわからないところが恐ろしい。

本書の最後に気温が2度どころか3度4度上昇してしまうことを覚悟して、未来に備えることの必要性を語っている。諦観のようにも見えるが、楽観よりも遥かに現実的な気もします。

オヤジのあくび399

成長目標とか補助分配だけじゃなくてまず再建3

 


21世紀が始まってもう20年余りが過ぎてしまった。今から数十年先にシングュラリティーや脱炭素社会が実現したら、世の中はどう変わっているのだろうか? 貧富の格差や戦争・核兵器がない時代が実現しているのか? 戦禍にまみれているウクライナの様子では、かなり見通しは暗い。そして私たちがコロナ禍で学んでいることは、何にもまして全てに健康第一が優先するべきという大前提ではないか!

その上で自分の心を満たし、かつ成長していくベクトルを一人ひとりが確かめていたい。ぼくのいう再建とはそこからスタートする。実は政治経済の話ではなくて自分を見つめる話なのです。個人的に言えば、ボクはもう65歳だから、スケジュール的に自分の残り時間を区切り、自分のエネルギーを見極めながら、フラフラヨタヨタと進んでいきたい。ボクの今のフィールドは、仕事も含めて音楽中心になっているから成果物としての物や形はない。けれど昨日感じる音と今日感じられる音は、きっと違う。そこにボクは自分自身の感性の再建作業を感じていたいな。カッコつけすぎかもしれないけれど。

オヤジのあくび398

成長目標とか補助分配だけじゃなくてまず再建2

 


貧乏人のひがみにしか聞こえないだろうけど、人は金持ちを目指して生きているのではない。人は幸せな時間を求めて生きているのだ。幸せの形態や価値観は人それぞれに違いない。その前提に安心安全とある程度の収入が想定されるのだろう。

突然ちゃぶ台をひっくり返すような話になるが、実は明日のことはわからない。江戸っ子が宵越しの銭を持たなかったのは何故なのか? 日本列島に住んでいると、地震・台風・火事等の災禍にいつまみえるかは、誰にもわからない。だからこそ防災減災に向けた努力が欠かせないわけだ。

だからそのような不安や心配と背中合わせで、ご先祖さまは怯えながら生きてきた。頼れるものにはなんでもすがろうと、江戸期以前神様仏様は一緒くたにして拝んでいた。

そこから日本人の心に響いた言葉の一つが「無常」でしょう。鴨長明から小林秀雄まで無常感を下敷きに語って来た人は多い。

現代人もバブル崩壊の際にある程度気づいてよかったと思うのですが。所詮浮世は憂き世なのです。安定志向の若者たちには「一寸先は闇」の覚悟があるのかなぁ? 予定調和の未来を妄信しない気持ちのあり方が大切な気がしています。

オヤジのあくび397

成長目標とか補助分配だけじゃなくて、まず再建1

 


経済指標を中心に社会の動向を見ようとすると、お金・資産がどれだけ動いたか? が注目される。けれどもそれが一種の拝金主義に陥った理由になっていないだろうか? 手元にお金がなければ何も始められないでしょう! 普通はそう考えるけど、逆の発想でお金がなくても始められることを考えてみてはどうだろう。

たしかに大掛かりな活動は難しいかもしれない。けれど歴史を振り返れば、何も元手がないところからスタートした人物を探すことができる。最後は拝金主義の権化や恨みを買う存在になってしまったが、豊臣秀吉伊藤博文など初めは無一文の若者に過ぎなかったでしょう。

オヤジのあくび396

笠嶋忠幸「書を味わう」を読む2

 


くずし字の読み方について、本書は解説をつけてくれている。筆者が書いた軌跡を辿るとわかりやすいと。筆順を追って繋がり方を見ていくのが良いと。繋がり方は次の字へ連続していることがよくあるので、そこがポイントらしい。

元々、ひらがなもカタカナも、漢字を崩して今の字体になったわけでして、僕の名前は武部ですが、武が「む」に、部が「へ」に変化するってなかなか凄い!

なかなか言うはやすしで険しい道な予感がするけれど、専門家でも誤読があり得ると書いているのが、一抹の救いだろうか? 

オヤジのあくび395

笠嶋忠幸「書を味わう」を読む1

 


元々文字は象形なのだから、絵は文字のご先祖さまのような存在かもしれない。絵画化した文字遊びや文に添えられた絵を前半では紹介している。文字とはかくあるべしという書き方的な堅い考えから読者を解きはなそうとしているようだ。

続いて禅僧による一行書が紹介される。限られた字数なので一字一字の筆遣いにしっかり向き合える。そこから見えて来る個性や心境に感じるところ大である。

書家には三蹟という三人のスーパースターがいる。当然本書でも紹介されており、一番手は小野道風。楷書、行書、草書を自在に使い分け、和様と呼ばれる今の書法が平安時代に確立していた事がわかる。

続いて古今和歌集の写本である高野切の書体。伝紀貫之書だが、実際には古今和歌集成立の100年後に写されたらしい。想定される筆者が三人いることから、それぞれ第一種、第二種、第三種と呼ばれ、その特徴が研究されている。古今和歌集は平安貴族にとって必須科目だから誰もが本を求めただろう。印刷技術はない時代だから、書き写すしか方法はなく同時に後世の手本となったのだ。本書は毛筆字の美しさを語るが、同時に作者がどのように筆を使ったのか? その技術にもふれている。まずは墨のつけ方。たっぶりの一気書き、掠れてもお構いなしでどんどん書くか、休み休み行くか? 続いて筆を送る速さ。当然勢いが時に現れるわけでして・・。三つ目にレイアウト。右肩上がりか、はたまた字の内容や近くに絵が描かれている場合は、その位置との兼ね合い。紙が貴重品であった時代には、それこそある程度の構想を持って書かれているはずだ。「字は人を表す」ではないが、字から透けて見えるものは大きいと思いました。