タケさんの雑記帳

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

外圧で変わってきた国=おいしいところ取り?の国7 GHQ統治→日本国憲法、現行制度の基

敗戦で全てを失った日本に占領軍GHQが恐る恐る進駐してきた。日本は戦争中、特攻隊など信じがたい非人道な作戦をとり、何をやらかすか?わからない恐ろしい国だったろう。

日本にとって運命的だったのは、この時GHQの中心メンバーが、実に革新的な思想の持ち主揃いだったということだ。だから日本国憲法を始め、財閥解体、農地改革、教育制度改革等が次々に成し遂げられて、そのほとんどが現在に至る。

私は、一気に民主化が進んだことで、国民のエネルギーが理想的な政治より豊かな経済立国を目指すエネルギーに変わった思う。それが後に護送船団方式と言われる日本株式会社の発展つながったのではないだろうか?

外圧で変わってきた国=おいしいところ取り?の国6 黒船来航→開国、明治維新

軍事力こそが国力と信じ込んでいる政治家は、21世紀の現代でさえ世界中にいる。幕末に東京湾に入り込んできたペリー艦隊は船の数こそ4隻であったが、当時としては世界最強の艦隊であった。江戸幕府周章狼狽の体になったのも無理もない。およそ戦えるはずなどなく、攘夷など始めから不可能だったのだから。

しかし、この時も日本は地の利を得ている。アヘン戦争で中国がどうなったか?事前に情報が入っていたからである。だからインドや中国の二の轍を踏まないで済んだ。さらに優れた外交手腕を発揮したのが、沖縄の琉球王朝である。不慣れなせいで幕末に結んだ条約はお粗末だったが、とにかくものすごい勢いで「富国強兵、殖産興業」の旗印の元に日本は変化する。

確かに鎖国時代が続いたために見たことも聞いたこともない物質文明が怒涛のごとく押し寄せてきた。しかし、それを素早く吸収し、我が国の文化と成し得たのは、江戸時代以来の教育力の高さであったと思う。本当の国力とは、どんな国民が育ってきているか?という教育力なのだ。

外圧で変わってきた国=おいしいところ取り?の国5 鉄砲伝来→戦国時代の収束

種子島に鉄砲を伝えたとされるポルトガル人は、その後もっぱら日本との交易や日本への布教に力を入れる。その気になれば、租界地のように日本国内に領有権を主張できる土地を作れたような気もするし、大友宗麟などそれに似た構想を抱いていたようだが、全国的にはそれは実現しなかった。

ところでこの近代兵器に目をつけたのが、戦国大名。中でも織田信長その人である。信長は結果としては戦国の覇者であるけれど、その兵は金で集めた傭兵主体で、機動力と人数には勝るが、そんなに強い兵ばかりではなかった。だからこそ鉄砲に目をつけたのだろう。

武田軍団の主力が長篠の戦いで命を落としているが、そのうち鉄砲で撃たれた将の数はどのくらいだろうか?一対一の白兵戦になれば、武田騎馬軍団は強いので、ここは鉄砲が力を発揮した場面とみてもよいと私は思う。天下を狙った武田氏を打ち破ったのは、信長の豊富な資金力と鉄砲なのである。

外圧で変わってきた国=おいしいところ取り?の国4 元寇→ 鎌倉幕府転覆へ。おいしいところがない!

日本は75年前の沖縄戦や空襲で、多くの国民が亡くなっているが、はるか昔、やはりとてつもない大国が日本を急襲した=元寇である。この時はひたすら必死の防衛戦だったので、獲得するものや土地などなく、武士がただ疲弊して貧しくなっただけであった。得るものは、日本を守り得たという達成感だけで、当時の人はとても虚しかっただろう。しかし、かくして黄金の国ジパングは、守られた。

でもこの時もしも圧倒的な戦力を持つ元に占領されていたら、どうなっていただろう?私は一時的に奪われても、山谷の多い地形を利用してゲリラ戦が可能だったと思う。まああくまでもIfに過ぎないけれど。

外圧で変わってきた国=おいしいところ取り?の国3 統治制度の導入→中央集権国家、律令制へ

一つの統一国家ができてきたということは、それぞれの豪族がそれぞれの地方でそれぞれのやり方でふんぞり返っているのは、甚だ具合が悪い。そこで日本に中央集権国家の体裁を整えようと奮闘努力した人々がいる。天智天皇天武天皇から奈良朝の人々である。制度としては、中国の律令制度をかなりコピーした。今もそうだが、トップダウンで決められたルールと実態がミスマッチを引き起こすことはよくある話で、律令制の根幹を成している土地所有に関する決まりは、やがて荘園制となり変質してしまう。しかし、律令制を基盤とする貴族政治は源頼朝登場の12世紀末まで400年の間保ったわけだから、まあよく続きました。

外圧で変わってきた国=おいしいところ取り?の国2

 仏教伝来

八百万の神を祀る国に仏教が伝わる。仏教は他宗教を排斥しないから、日本の神と仏教は共存した。明治初期の廃仏毀釈=あれが日本の文化大革命だったのか?という事件を除いては、神社に五重塔が建っていても何の違和感もなかったのだ。しかし、日本人がそれらを宗教として受け止めていたかどうか?特に江戸時代は疑問である。檀家制度が整ったため、寺の僧たちは檀家を回って葬儀を執り行うだけの仕事に甘んじて仕舞い、肝心の宗派の教義を熱心に伝えようとしていないからである。儒教を始め、いろいろな学者が輩出した江戸時代に、仏教から傑物が出ていない。

しかし、仏教を通して人心をまとめようとした勢力と八百万の神=日本古来の信仰を大切にしようとした勢力がぶつかる時代があった。話は飛鳥時代に戻る。仏教側は蘇我氏聖徳太子もその流れにいた。八百万の神側は物部氏で、結果政争に敗れた物部氏は中央政界から姿を消していく。

外圧で変わってきた国=おいしいところ取り?の国1 文字の輸入

ユーラシア大陸からちぎれてしまったかのように海に浮かんでいる島々がある。我が日本列島もその一群である。この島々に少なくとも一万年以上前から人々が住み着き、文化を形成していた。彼等は統一国家などという巨大な統治機構を必要としていなかった。村落単位でお互いに助け合いながら、日々が平和に暮らしていければ、それで十分だったのだ。だからこそ大きな戦もなく、八千年以上の時が流れる。

しかし、貯蔵可能な食料である米=稲作が伝わると富が形成され、貧富の差が生まれてしまったらしい。それでもまだ、人々は自然の脅威の前に日々おののきながら生きていたので、神の祟りを祓い、未来を予言する占術師を敬った。おそらくは女王卑弥呼のカリスマ性は、その辺りから生まれたのだろう。自然の猛威になす術がない人々が、自然崇拝に至り八百万の神を信仰していたのは、頷ける話である。

文字は、記録を必要としている文化から生まれる。肥沃な土地で農業が営まれるようになると、いつ何が起こるのか?暦と記録するための文字が必要となる。エジプト、メソポタミア、インダス、黄河に共通している。日本も稲作を学ぶと同時に文字が持ち込まれたのだろう。ただし、現地語発音は、漢字の音読みに蹂躙されることなく残った。つまり訓読みである。アルファベットがそれぞれの地域でいろいろな発音に変化することに似ているが、日本の場合、現地語発音としての訓読みと中国発音の音読みの両方が並立して、現代に至っていることが、特徴的だ。さらには、書きづらい漢字を崩して、発音記号としてのひらがな、カタカナを発明してしまう。自分たちが使いやすいように改良する伝統は、平安朝の頃から息づいているのだ。