タケさんの雑記帳

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび295

安岡正篤「青年の大成」を読む1

 


知性・知能よりも情緒が大事だと説く。OECD主導による学力調査の結果に振り回されて、全国学習状況の調査結果に一喜一憂している日本の学校教育の迷走ぶりを言い当てているかのようだ。江戸・明治以来日本の教育が欧米に見られない資質を重視してきた成果は、今や探したくても探し出せない。文科省は道徳教育の重視というが、その意図しているところが安岡氏の主張と重なるのかどうか? 疑わしい。

昨今経済的な要因による教育格差が話題になっている。けれど病弱だと、貧しいと、知的に発達が遅いと、忙しいと学問ができないのか? と問う。その結果、国による福祉政策による支援に疑問を呈している。東大王というクイズ番組があったけど、ちょっと人が知らないことを知っているだけでは、何の評価にも値しない。本人が学び問い続けた結果として、備わった徳や習慣が大切にされていた時代があったのだ。学力とは、学んだ結果獲得した力ではなく、学び続けるエネルギーのことなのだ。

オヤジのあくび294

野村克也「私の教え子 ベストナイン」を読む

 

南海時代、三浦清弘投手と牽制球について、盗塁を防ぐために、あれやこれや策を練っていた話が出てくる。

当時のパリーグには福本豊というとんでもない盗塁王がいた。当然一塁手に進めば、即二塁を狙われるわけで、バッテリー間の工夫は並々ならないものがあったことを語っている。そして今では当たり前になったクイックモーションもこの時期の産物なのだそうだ。

ノムさんは、私がまだ子どもの頃、阪急のスペンサーと熾烈な三冠王争いを演じて三冠王のタイトルを手にしている。もちろんポジションはキャッチャー。同僚に日本一のキャッチャーがいれば、残念ながら他の選手の出番はない。南海時代の柴田捕手と高橋捕手の能力について、ノムさんは高く評価している。こういう目線が私は好きだ。

ノムさんの野球をシンキングベースボールと呼ぶ。たしかプレイングマネージャーだった頃から、そんな話が出ていて、ノムさんをヘッドコーチとして支えた人が、ドン・ブレーザーだ。本の中ではヒットエンドランや送りバントのサインが出た時の対応の話など実に面白い。

バットの太さの南海藤原選手の話で一言。「固定観念は悪、先入観は罪」だとノムさんは言う。

いわゆる野村再生工場について「進歩とは変わること」「変わることが進歩」。当たり前のようでいて、なかなかできないのは、自分の保守的な側面が邪魔しているのだろう。ノムさんに言われるとそんな気がしてくる。

オヤジのあくび293

そこは昔、海でした。

 


首都圏で言えば、東京・横浜のオフィスビルや高層マンションが立ち並ぶ土地は、昔は海でした。東京駅周辺で言えば、家康がやって来た当時、日比谷入江が現在の皇居外苑付近まで来ており、現在の東京駅周辺はその後の埋め立てにより市街地化した場所です。

横浜は、市内小学校で教えているように、現在の関内・伊勢佐木町周辺は、吉田勘兵衛さんの新田開発事業で、埋め立てた土地であります。

横浜駅のあたりは鉄道開通当初は完全に海でした。その上に堤を築いて汽車を走らせたのです。

つまり海面からの高さがない、津波や高潮にとても弱い。埋め立て地であることから地盤が軟弱であるのに、高層ビルを続々と建設している。現在は、そのような地域に人口が密集し、経済活動が行われているということです。

そのリスクを、私たちは日頃から心得ておいた方がいいと思います。

オヤジのあくび292

稲盛和夫山中伸弥「賢く生きるより辛抱強いバカになれ」を読む

 


概して対談を収録した本は読みやすいし面白い。読みやすいのは話し言葉が活字化されているからだが、同時に相手に通じるように話さなければ対談にならないからだ。もう一つは、対談を設定する妙味にある。対談の向こうに読者がいるわけだから、読者の興味関心を引きつける人と話題を選ばなければならない。

期待に違わず、この本も読みやすく面白い。

書中の言葉から。 

稲盛さん「願いというものは、純粋で結晶化されたものでなければ成就しない」

山中さん「IPS細胞の研究をやり出したのも、誰もやらないなら俺がやってやるという思いだったからです」

稲盛さん「人生・仕事の結果=考え方✖️熱意✖️能力」「せっかく一生を生きていくなら、自分はエンドレスの努力をしようと思った」

山中さん「部下に夢を見させること、そのためにはビジョンを語り続けることなんだ」「誰かに期待されてやっているわけではなく、自分がそこまでやりたいからやっている」

稲盛さん「大善は非情に似たり」「組織はリーダーのうつわ以上のものにはならない」

山中さん「ひとに感謝することによってレジリエンスは鍛えられる」

なるほど、なるほど。

オヤジのあくび291

読書という趣味

 


本との関わり方は、人付き合いに似ていると思う。相性があるし、リラックスさせてくれる本があれば、心地よい緊張感を与えてくれる本もある。その面では音楽と似ている。必要に迫られて読む本とは、うまく付き合えないことが多い気がする。

読後感想みたいなブログを書いているけれど、ほとんどは、たまたま興味が湧いたとか、目に止まった本なのです。

本が好きになったきっかけは、やはり親に感謝しないといけない。休日の朝、ゴロゴロしながら布団からも出ないで、本を読んでいた小学校低学年の頃を思い出す。本を読むスピードは、その頃からだいたい1分1頁のペース。各頁の文字量が多く、内容も私の能力では即座に理解できないような本は苦手なのです。その癖に分類で言えば900番代の文学書以外の本を読んでいることが多いのは、どういうことだろう?

本はこちらが選んだつもりで読んでいるけれど、実は本の側から読むに足る人を選んでいるような気もする。学生の頃、自宅や下宿にお邪魔して本棚を見せていただくと、その人の履歴がわかる気がして観察していた。誠に困った来客である。

オヤジのあくび290

立松和平法隆寺智慧 永平寺の心」を読む

 


本のタイトルにある通り、法隆寺永平寺での体験が語られる。ありがたいのは、経文を作者が口語訳に直してくれていて、釈迦や聖徳太子の教えを読者にわかりやすく説いているところ。

前半は法隆寺での正月の体験談。僧衣に身を包み承仕となった作者の一日が夜明け前から順に紹介される。さすがに正月の夜明け前は文を読んでいるだけでも寒そうだ。般若心経のところでは、仏教の無や空を虚無的に勘違いすることの戒めを強調している。仏教とは、さとりに向かう生き方を積極的に人々に働きかける教えなのだ。

後半は、永平寺。実はオヤジのあくびには書かなかったけれど、和辻哲郎の「道元」を読んで私はかなり情けなくなってしまっていた。不立文字を何と心得ておるのか! と和辻に対して私は感じた。立松和平さんによるこの本の中にも、月を指差す人の手の例えが出て来る。手に注目していても月の美しさはわからない。それは経文や仏典の解釈を掘り下げこだわるのに似ていて、本質である「さとり」を目指す生き方に通じていないのだと。

永平寺での三泊四日の参禅を通して、坐禅に限らず人が生きて行く行為そのものが実は禅であり、同時に悟りであると語られる。ならばわざわざ永平寺まで出向いて禅を組むことはないじゃないか! とは思わない。道元の昔から禅を組む場所と時間を必要としてきた無数の人々とその状況が続いているのだから。

オヤジのあくび289

ボクが学生だった頃の話2

 


ある時、私が所属しているグリークラブを含む音楽系サークル連合で、大学当局に対して抗議する場面があった。大学祭開催がきっかけだったかどうか? それさえ曖昧になっているけれど。

学生はかなり集まり、やがて構内をデモ行進し始めた。この時、構内に待ってました! とばかり機動隊が入って来たのだ。有無を言わせず、私も例のジュラルミン盾で押された。いやはや、ものすごい力だった。こうやって言いたいことを言えなくしてきているのだということを、その時ボクは実感した。

人々の行動を実力行使で無理矢理押さえ込むことの理不尽さに憤る気持ちは、この体験からボクの身体の奥底に居座ってしまう。反面教師的な意味で自由の大切さを教えてくれたのかもしれない。