オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび 824

馬場のぼる「アリババと40人の盗賊」を読む

 

漫画家にとってキャラを掻き分けるとは、とても重要な技術的にだと思うのですが、馬場のぼるさんの手にかかると、悪人も善人も美人も盗賊も、皆似たような雰囲気になってしまう。しかしそれこそが馬場のぼるさんの魅力なのだと思う。

本当の主人公は、女奴隷のモルジアナで彼女の容姿など、もう少し配慮して描いたらいいのに・・とか感じますが、アリババも含めて登場人物は皆とぼけた表情で描かれています。

仲がよかった手塚治虫の作品にも、ちょくちょく似た人物が登場しますが、多くはルンペン役でした。そこでいい役が欲しいと頼んだのでしょう。W3(ワンダースリー)では、主人公の先生役馬場先生で登場します。

「11ぴきのねこ」がやはり有名で、出身地にある馬場のぼる記念館=ほのぼの館にもねこの展示があるようですが、彼の描いたキャラクターが、日々せわしげに道を行き来している都会のメインストリートに描かれていたらいいなと思います。

オヤジのあくび823

デカルト「我思う、ゆえに我あり」を講談社漫画学術文庫で読む

 


デカルトの生きた400年前。ガリレオは地動説を否定され、ブルーノに至っては火炙りの刑で処刑された。デカルトが巧みに教会との対立を回避しながら、自説を発表していく様子が描かれている。

デカルト以前とデカルトのあとで何が変わったのか、スコラ哲学とどのようにデカルトは闘ったのか。

そしてデカルトの方法的懐疑と自分という存在だけは疑いようがないと言う着地点、

 


疑ってかかることが、近代哲学の出発点だとすれば、今私たちの周りには疑ってかかるべき情報が満ち溢れている。SNSはもちろんのこと、AIの教えをほとんど鵜呑みにしている状況はもはやAIが神格化してしまったかのようにさえ見える。

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オヤジのあくび822

安野光雅「本が好き」を読む

 


タイトルの通り著者が気に入ってる本の話を並べている。始めに登場するのは奥本大三郎訳による「ファーブル昆虫記」。大学時代、フランス語の授業をされる奥本先生にとって、ボクはとてもダメな学生で、先生に直接叱責をいただいたこともある。この本に奥本先生による糞虫の部分の訳が引用されているが、短い一節だけを読んでも、素晴らしい表現であることが瞬時にわかる。もう52年も前の話になりますが、奥本先生ごめんなさい。

 


デカルトの「方法序説」が出てくる。良識はこの世でもっとも公平に与えられているものである・・この近代哲学を始めた人は、ガリレオ・ガリレイと同じ時代の人だったのだ。そして彼の処女著作は音楽について書いた「音楽提要」だったのだ。彼が生きた時代は作曲者で言うとモンテヴェルディの時代にほぼ重なり、ルネサンスの多声音楽ポリフォニーがバロックに移行していく時期でありました。そのような時期にモンテヴェルディがオペラを創作し始めているわけです。

何でも疑い、何でも考えてみようのデカルト精神は、今も科学の根本であります。しかし、とりあえずAIに答えを聞いてしまう人々、本を読むめくることなくググって調べたことにしてしまう人々の姿を見て見たら、デカルトはどう思うだろうか?

 


この本を借りてきたのは、チェリストのカザルスが、80歳の時に20歳の女性と結婚したエピソードが入っていたからです。安野さんは妬ましげに書いているけれど、もし老後一人になってしまったら、やはり羨ましいとボクも思う。ただ年齢的にも環境的にも、もちろん才能を含めて、その他諸々がカザルスと違いすぎるけれど。

 

さらに読み進めれば、圓生や小さんの落語噺の名人たちの話に力が入る。安野光雅さん自身がさぞかし落語がお好きだったのでしょう。

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オヤジのあくび821

日本戦没学生記念会編「きけわだつみの声」を読む。

 


戦没学生は、学業が本職なだけあって語彙が豊富です。文章も硬い印象がありますが、この中から朗読にふさわしいのはどこか、自分なりに探して、提出したのが以下の箇所です。

 


母への最期の手紙

親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何ときくらむ

この吉田松陰の歌がしみじみと思われます。ほんとに私は幸福だったのです。我がままばかりとおしましたね。けれでもあれも私の甘え心と思って許してくださいね。

晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。母ちゃんが私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることが出来ずに、安心させることもできず死んでゆくのが「つらいのです。

私は至らぬものですが、私を母ちゃんにあきらめてくれ、ということは、立派に死んだと喜んでください、ということはとてもできません、「けどあまりこんなことは言いますまい。母ちゃんは私の気持ちをよく知っておられるのですから。・・・

この手紙、絶対他人にみせないでくださいね。やっぱり恥ですからね。もうすぐ死ぬということが何だか人ごとのように感じられます。いつでもまたお母さんにあえるきがするのです。「あえないなんて考えるとほんとに悲しいですから。・・・

 

出撃前日

 


宮沢賢治を敬愛する学生の手記から

宮沢賢治の「烏の北斗七星」における戦争観を敷衍して僕の今の気持ちを記してみよう。

山ガラスを葬りながら「ああ、マヂエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは何べん引き裂かれても構いません」というところにみられる「愛」と「戦」と「死」という問題について最も美しいヒューマニスティックな考え方なのだ。「人間として、これらの問題にあたる時、これ以上に、美しい、崇高な方法があるだろうか。

 

宮沢賢治の死後93年、この学生の手記が書かれてから81年、いまだに彼らが長った世界は実現していません。

 


国家に殉じた彼らは、靖国神社に英霊として祀られている。毎年の終戦記念日における閣僚が参拝が話題になっている。

個人的には、A級戦犯の合祀について、わかりやすい説明が不足しているように感じる。絞首刑となり横浜市の久保山で荼毘に付された7人それぞれの行いが、歴史教育の場でしっかり理解されているのか。

さらに靖國神社に合祀される経緯について公に納得した形で行われたのか。

昭和天皇が1975年以降、靖國神社に参拝していないこととの関連はどうなのか。

諸外国の反応に敏感になる以前に、自国民の一人として、勉強しておきたいところです。

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オヤジのあくび820

宮沢賢治「烏の北斗七星」を読む

 


戦没学生の手記に引用されていたのは次の部分です。

 


「どうか憎にくむことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように」

 


現在もなお世界のあちこちで戦禍が絶えません。しかし、どこの兵士が敵を憎んで殺しているのでしょう? 個人的な感情など一切お構いなしに罪なき人を大量に殺戮する愚かな行為が今も続いているのです。

 


ちょうどこの本を読んでいる時に美輪明宏さんの訃報が報じられました。生涯に渡って愛や平和の尊さを説き続けた方だと思います。感情が昂り人を大きな声で叱りつけたあと、 「るんるん」や「らんらん」、「りんりん」と添えてみてはどうかと、ユニークな提案をなさっています。

テンパってしまっている学校の先生方にも広めたいですね。

 


美輪明宏さんと言えば、お江戸コラリアーずの一員として参加した合唱コンクール全国大会2019で「ヨイトマケの唄」を歌いました。「これでは技能点がつかない」とか「合唱コンクールをバカにしてる」とかさまざまな批判を浴びたようですが、指揮者の山脇さんは「ポピュラーを歌って、コンクールで賞がもらえるか、チャレンジしてみたかった。」と平然としていました。まぁ、結果は銀賞をいただいたわけですが。

 


賢治の童話に戻ります。烏の大尉が死を覚悟して許嫁に別れを告げる場面は、まるで学徒動員で出陣していく兵隊とその恋人(妻)のようです。

宮沢賢治が亡くなったのは昭和8年ですから「わだつみの声」に収録されている学生にとって、我が身を烏の大尉になぞらえるのも頷けます。

 


しかし、賢治の願いとは逆方向に時代が進んでしまったことも事実でしょう。

令和に生きる私たちは平和への思いを再確認していかなければなりません。

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オヤジのあくび819

宮本常一「忘れられた日本人」を読む3

 


宮本常一さんが訪ねる土地は、自身の故郷周防大島を除くと、離島、山奥、皆辺境の地であります。

本書も後半に入ると、故郷周防大島から対馬に渡って新しい村を作った人や常一さんの祖父が登場する。著者の幼少時代が思い出とともに語られている。この部分で常一さん自身が語り手になっている。

さてその次に木村哲也さんの本にも出てきた世間師の章に入る。周防大島出身の大工の伊太郎。大工の腕を生かして、戦争や災害で荒れ果てた土地に行き家を建てる。戊辰戦争から西南戦争、濃尾の大地震など明治初期の様子が伊太郎の話にオーバーラップする。

続いて河内長野の左近。左近翁が大川という易者と知り合って共に旅をしている下りがおもしろい。

 


常一さんは、世間師の章を次のようにまとめている。

明治から大正、昭和の前半にいたる間、どの村にもこのような世間師が少からずいた。それが、村をあたらしくしていくためのささやかな方向づけをしたことはみのがせない。いずれも自ら進んでそういう役を買って出る。政府や学校が指導したものではなかった。  しかしこうした人びとの存在によって村がおくればせながらもようやく世の動きについて行けたとも言える。そういうことからすれば過去の村々におけるこうした世間師の姿はもうすこし堀りおこされてもよいように思う。

 


ここまで筆者は、文字の読み書きができない人々に取材している。文字に記録されていなかったことを聞き取って書き留める作業を延々と続けていたのだ。しかし最終盤で文字の読み書きができて、自らの体験を文章化している人々への取材に転じる。

 


現在では、まず初めに文字ありきで、何か知りたいことがあれば、即座にAIが提供してくれる。AIは似たような情報を繋ぎ合わせる作業をしているだけで、その背景に自身の体験や思いがあるわけではない。

自分が体験したことを綴り、まとまってきた考えや疑問を記録するために、そして日記を始めとする記録に私たちは文字を使ってきた。何だかその順序がAIの場合は転倒しているような気がしています。

 


「忘れられた日本人」は、同時に忘れてはならないはずの日本人でもあり、本書は彼らの汗にまみれた生き様の貴重な記録だと思います。

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オヤジのあくび818

宮本常一「忘れられた日本人」を読む2

 


小学校音楽の教科書で各地の民謡を教える頁があり「こきりこぶし」が掲載されている。

本書では、道中迷って心細い思いをする場面が描かれている。その時、島の人に歌を歌うとよいと教わるのだ。邪推だが馬子唄のように歩きながら歌われたものは、道に迷わないための工夫だったのかもしれない。

 


続いて寄り合いの話の中で、一揆、衆、講という地域の結びつきを表す言葉が出てくる。若い衆などはまだ使われるし、機能していると思われるが、講や一揆となると、どこからともなく都会に集まってきた人にはピンと来ない。

次の章でいなくなった子どもを村中で探し回ったエピソードが出てくる。子どもは無事に見つかったのだけど、筆者の視点はその村に以前からいた人と移住してきた人々の間で子どもを探すか探さないか、行動が分かれたところを見ている。共同体としてのつながりが見えてくるのであります。

 


読み進めるうちに「女の世間」という婆さんの他愛のないおしゃべりを綴った話が出てくる。田植えの時期の早乙女が、男どもをどう見ていたとか、あけすけに語られている。そして馬喰の「土佐源氏」の話に辿り着く。思い出話という体裁を取りながら、ほとんど文学の香りが漂う浮気話。これは現在の倫理観からするとかなりしょうもない男の話となるわけですが、少し前までの日本人が性についてとてもおおらかで開放的であったことがわかる。

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