オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

オヤジのあくび459

山川徹「カルピスをつくった男 三島海雲」を読む2 北京東文学社で海雲は日本語教師となる。中国人に日本語を教えるだけでなく、自らも中国語や中国文化を学んだらしい。やがて北京で土倉五郎に会う。吉野杉を元手に日本の山林王と言われた資産家の息子だ。日…

オヤジのあくび458

山川徹「カルピスをつくった男 三島海雲」を読む1 万里の長城の居庸関を抜けて、モンゴル高原に向かった青年三島海雲。彼は遊牧民の乳製品からヒントを得てカルピスを生み出した。著者も時代は違うが、モンゴルでの草原生活を体験しているようだ。 本書は伝…

オヤジのあくび457

佐々木幹郎「東北を聴く」を読む2 89年前の昭和8年も、三陸海岸を津波が襲っている。その時初代高橋竹山は三陸に来ていて、九死に一生を得た話が出てくる。もし津波に飲まれていたら、私たちは高橋竹山の三味線にふれる機会を永久に失うところだった。川崎ヨ…

オヤジのあくび456

佐々木幹郎「東北を聴く」を読む1 津軽三味線の二代目高橋竹山さんと東日本大震災の被災地を門付けして回る旅の様子が描かれる。津波で潰れた家の下から、老人が歌う「八戸小唄」が聴こえてきたという。阪神淡路大震災の時も辛い状況で「赤とんぼ」を歌って…

オヤジのあくび455

坂本龍一「音楽は自由にする」を読む2 本はYMOから戦場のメリークリスマス、ラストエンペラーへと続く。苦労話としてはラストエンペラーでのベルトリッチ監督との作業がおもしろい。そして自分か経験してこなかった音楽を求められた時に、坂本龍一は摩訶不思…

オヤジのあくび454

坂本龍一「音楽は自由にする」を読む1 本当はひねくれているわけではないのに、文章を書くとひねくれた文になってしまう。坂本龍一氏の場合はどうなのだろう? 子どもの頃、ドビュッシーに感激する場面が描かれているが、率直に美しいものを感じ取る感性がな…

オヤジのあくび453

ニャロメの「おもしろ生命科学教室」を読む この本は昭和60年が初版の角川文庫でありまして、今から37年前の本です。このシリーズは、数学教室と宇宙論を持っていて、その頃教えていた小学校高学年の「子どもたちに科学に興味を持ってもらえたらいいな」と言…

オヤジのあくび452

失われた30年ではなくて脱成長の30年なのかも? バブル崩壊後、小さな波はいくつか訪れたが、日本が再び目覚ましい経済成長に転じることはなかった。たしかに昭和元禄といわれた高度経済成長期の好景気は見る影もない。 お叱りを受けそうではあるけれど、こ…

オヤジのあくび451

小林秀雄 考えるヒントより「平家物語」を読む。 「琵琶を弾いています」と言うと、小泉八雲の耳なし芳一や平家物語を連想される方が多い。平曲を奏でる盲目琵琶法師の伝統が途絶えてしまった現代でも、琵琶曲の中に平家物語に題材を求めた曲は多い。 小林秀…

オヤジのあくび450

米山文明「声と日本人」を読む+日本語のためのボクの発声教育試論3 いろいろな声の出し方のうち、始めに教え始めていいのは、地声(表声)と裏声の違いだと思います。ここで言う裏声とは抜いたファルセットではなく頭声的な響きを伴った声のことで、有名な弓場…

オヤジのあくび449

米山文明「声と日本人」を読む+日本語のためのボクの発声教育試論2 小学生期の音楽、主に歌の話をします。ここ30年間くらい低学年に最も人気のある曲は、となりのトトロの「さんぽ」でしょう。たしかに子どもたちに好かれる要素が揃っている曲です。けれど音…

オヤジのあくび448

米山文明「声と日本人」を読む+日本語のためのボクの発声教育試論1 日本語について一貫した発声教育がなされていない。例えば小学校に限ってみても、多くの子どもたちが、国語の授業の音読と音楽の合唱、運動会での応援団は明らかに声を切り替えている。それ…

オヤジのあくび447

福元一義「手塚先生、締め切り過ぎてます! 」を読む 手塚治虫さんの一生で最も大きな事件は、やはり虫プロの倒産でしょう。でも絶壁から谷底に突き落とされたような境遇で、不死鳥のように「ブラックジャック」や「三つ目がとおる」が始まるのが、一漫画フ…

オヤジのあくび446

コロナ・ブックス編集部「諸星大二郎の世界」を読む 本書は学者や評論家によりそれぞれの視点から、諸星大二郎の世界を語った文と諸星自身の漫画から構成されている。 水木しげるの妖怪世界でも、つげ義春「ねじ式」のシュールな夢幻の世界でも楳図かずおワ…

オヤジのあくび445

柳原良平「柳原良平のわが人生」を読む2 前回は肝心の本の中身にふれていませんでした。幼少期や寿屋=サントリーで開高健や山口瞳とタッグを組んで大活躍した時代は飛ばして、著者が横浜に移り住んだ昭和39年から。 前回、著者の家の前を通勤していた話をし…