オペラの稽古には、長机がつきものである。そこに「でん」と構え全体を見渡しているのが演出家の先生。今回の「愛の妙薬」の演出は、故粟国安彦氏の長男で、父同様の道を歩む粟国淳。少し調べると他公演でも「愛の妙薬」の演出を、何度も手がけており、本演目はイタリアオペラの中でもお手の物といったところなのだろうか。
私の見聞きする範囲が狭いのかもしれないが、我が国では、オペラの演奏に対する評論活動に比べて、演出に関する評論活動があまり活発ではないように感じる。オペラは、表に出ているだけでも、歌手・指揮者・合唱団・オーケストラ・バレエ団と巨大な集団が絶えず舞台上や下をうごめいているわけだが、それを支えている衣装・照明・美術・装置(大道具・小道具)に携わる人の数もまったく半端ではない。表現として一義的に音楽なのだから、音楽について正しい評価が下されるのは、まったくもっともな話だが、同時に演出面についての批評眼を養って、より豊かな舞台が創造できるように文化を耕していかなければならないのでは?とも思う。
粟国淳の演出は、奇をてらったものではなく、「いかにもイタリアの楽しいオペラ」という雰囲気を感じさせる「王道を行く」舞台作りだ。とりわけドゥルカマーラの登場シーンなどは、大道芸人が現れたかと思うような楽しさである。ただ恐らくは誰が演出しても、難しいのだろうが、ジャンネッタの役回りが、少々見ていてわかりづらい。最後にベルコーレとくっついていたが、結局ちょっと権威のある男であれば、だれでもよかったのか?その前に金持ちになりそうなネモリーノに熱を上げるシーンがあるだけに、彼女の役をどう位置づけるか、難しいと思った。