オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび647

網野善彦「歴史を考えるヒント」を読む

 


冒頭に日本という国名がいつ決まったのか? という話が登場します。ボクは手塚治虫火の鳥天武天皇が国名を決めた描写が出てくることを当てにしていたので、その頃かな? と漠然と考えていたのですが、689年の飛鳥浄美原令が定説のようでドンピシャですね。ちなみにこの時から天皇という言葉が使われ始めます。

私たちが日常考えなしに使い、知らないうちに偏った見方にとらわれている状況を解きほぐしてくれるのは、網野さんの本のありがたさだと思います。例えば「人民」。中華人民共和国とか朝鮮民主主義人民共和国とか、ものものしいイメージがある。学生の頃食堂周辺で「ピープル」というジュースすが売られていて、ボクらは「人民ジュース」などと呼んで愛飲していた。ところが人民とは、日本書紀に天下人民として登場する言葉らしい。「国民」の方は、元々有力な地侍を指す言葉であり、一般化されたのは近代以降だと言う。さらに生活者の匂いが漂う「庶民」も日本書紀の頃から使われてきた古い言葉であると紹介されています。

歴史との共に言葉の意味が固定化した例として「百姓」を取り上げています。私たちは「百姓」=農業従事者ととらえがちなのですが、「百姓」はもっと幅広い職業層、例えば海や山の生業を含む言葉だったのです。

話はジャンプしますが、大学生の皆様は経済学部と商学部をどのように選択されたのでしょう? ニュアンス的に経済学は西洋から輸入され翻訳された言葉で研究し、商学部はもう少し古くからある商い上の用語からスタートしている気がします。例えば複式簿記などすでに十七世紀から三井で使われていたというから驚きです。同様に為替・手形・小切手・市場・相場などの言葉も古くから日本の商売で用いられてきた言葉だそうです。そのような取引がすでに日常化していたからこそ、幕末の開国以降欧米との商売にスムーズに移行できたのですね。

本書の中にたびたび現れるのは、一旦人間世界から離れた異世界(神域)に物が置かれる。そこへ交換物を持参する、そこからいただいてくるというのが取引であったという記述です。神様の領域に入った物を交換するのですからやましいことはできないはずです。古代中世の人々が大切にしていたこの感覚を、今私たちはほとんど持ち合わせていませんが「お天道様が見ている」から悪事ができないとか、見えない力に守られている「おかげさま」などの言葉に、わずかにその精神性が引き継がれているのかもしれません。

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