オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

 ちょっと本職に関連した話をする。

 今日の朝日新聞に、和田中学校校長在職の頃「土テラ」や「夜スペ」で教育界に一石を投じた藤原和博氏が、「正解主義と闘う」と述べていた。「経済成長が持続していくという高度成長時代の神話は、すでに過去のものであり、これからは成熟社会としての試練の時を迎えるであろう。」という氏の論の前提には肯ける。この勉強をしっかり理解しておけば、将来の生活が約束されるというような生やさしい時代ではないのだ。
 しかし、「正解がない」は、いわゆる諸科学、とりわけ社会科学を親学問としている学習に、正解がなくなりつつあるという話ではないのだろうか?もともと人文科学・芸術の分野には、正解を本当に求めているのか、よくわからない追究活動があるし、自然科学の分野には、未だ未解決の解が多数あり、正解を求めての追究活動は、一層深まりつつあるのではないだろうか?
 だから、危機感を抱いた教育行政をリードする者が、先行き不透明な時代を生き抜く力を身につけさせようとして、基礎学力よりもいっそたしかな問題解決力に軸足を移した学校教育を・・という趣旨の前学習指導要領を作成した。しかし、それが各界から総スカンを食らい撤退を余儀なくされたのは、つい最近の話ではなかったか。結局「教えるべき内容は、しっかり教えておこう」という話になり、教科書が途端に分厚くなり、小学校低学年でも6時間授業が多く設定されている事態になった。
 私は、持続可能な社会のために教えておくべき「正解」はあると思う。いくつか柱を立てるならば、「共生」「人権尊重」「平和」「環境」についてのたしかな知識と関心・態度であろうか。この柱について自分なりの「答え」に近づくための技能として「コミュニケーション能力」や「自然科学に対する知識・技能」をしっかり教えていくべきなのだと思う。
 
 ブログのタイトルを「オフ」に変更したのに、早くも禁じ手を使い「オン」の話をしてしまった。正月気分が抜け切らぬゆえの暴走として、許していただきたい。