オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび254

新島襄「わが若き日ー決死の日本脱出記」

 

新島襄自身の筆による部分は、「わが若き日」と函館を違法出国しボストンに到着するまでの航海記、それにあちこちから家族に宛てた手紙で構成されている。「わが若き日」では、安中藩の武士の家に生まれた新島襄=本名は七五三太(しめた)が、殿様の命に従うよりも広く世界に出て学びたいという気持ちを募らせていく様子が書かれている。

結果として、ボストンで学び、日本人初のアメリカで学士となった他、アマースト大学で学んでいた縁からクラーク博士が日本にやって来る。さらには岩倉使節団木戸孝允付きの通訳となり、ヨーロッパの教育制度を視察することになる。

日本に帰るのは、アメリカ=アメリカンボードから宣教師として日本への布教資格を得てからである。何年か前に新島八重を主人公にした大河ドラマが放映されたが、八重と結婚するのは、帰国後同志社の設立に奔走する時期である。この頃の教え子に徳富蘇峰がいて、本書の後半は蘇峰による「新島精神と日本精神」という記念講演が掲載されている。

居ても立っても居られない衝動は、新撰組と函館から出国する時の新島襄に共通しているもしれない。何に居ても立っても居られなかったのか? それは日本をなんとかしなければならないという思いでしょう。結果、新撰組は戦闘集団になったし、新島襄は宣教師になった。自分が教育界の末席を汚しているから言うわけではないが、世の中を変えていくとは、武力や独裁者の力ではなく、結局は教育に頼るしかないのだと思う。