オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

日本の名教師列伝3 中江藤樹2

日本の名教師列伝3 中江藤樹2
〜先生たちは日本の未来をどう見据え、語ってきたのか?〜

中江藤樹先生について、今まであまりに無知無理解であったため、内村鑑三「代表的日本人」と童門冬二中江藤樹」を読んでみた。「代表的日本人」には、西郷さん、二宮尊徳上杉鷹山日蓮上人と並んで、中江藤樹先生が登場する。村の先生と副題が書かれている内容は、主に近江で塾を開いている頃の中江先生のエピソードが語られている。童門冬二の小説「中江藤樹」は、かなりの長編で幼少期に父母と別れ、米子藩へ旅立つところから、ほぼその一生を綴っている。
中江藤樹」の中では伊予大洲藩における御用儒学者若山との確執、および若山の師である林羅山に対する批判。立身出世や処世のために儒学が利用されていることへの怒りが描かれている。翻って、現代においては大学進学を始め、学問の動機が「それなりの職業」や「それなりの企業就職」と堕しており、さらにはその進学に有利そうな学校や塾の選択が受験戦争に拍車をかけているという教育事情を、中江先生がご覧になったら、嘆息された上で何とおっしゃるだろうか?
江戸時代とは違い、現代においては何よりも実用のため、生活のための学習が優先されている。そのことに異論はないが、肝心の「人としてどう生きるか?」をどこでどう学ぶのか?たしかに今、文科省は道徳教育に力を入れることで、現代の子どもたち及び社会における問題の克服を試みているように感じる。しかし、中江先生が脱藩までして処士を目指されたこと、つまり自分が信じる学問を伝えようとされた姿勢と、全国一斉のカリキュラムによる御用教員による道徳教育の間には、かなりの温度差があるように思えてならないのですが。


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