オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

タケさん、ヨコハマを語る3

30年前の成功と未来像

1989年、Yesヨコハマ博が開かれた。バブル期であったので会場は大いに盛り上がった。そのレガシーが、ランドマークタワーであり、横浜美術館であり、大きな観覧車、そしてみなとみらい地区だ。もし、みなとみらい地区が未だに倉庫群で覆われていたら、ヨコハマのイメージは、だいぶ変わっていただろう。まさに先見の明ありである。
課題であった関内のオフィス街と横浜駅周辺の連結もみなとみらい線の開通で実現した。
めでたしめでたしである。

さて、ではこれからどうするのか?ヨコハマは、どこへどのように発展していけばいいのか?いわゆる持続可能な開発の話である。
その前にヨコハマの開発史を振り返ってみよう。まずは小学校で教えている江戸時代の吉田勘兵衛さんによる吉田新田の埋め立て、そして開港。次に子安・鶴見周辺の浅野総一郎による工業地帯の形成。つまり京浜工業地帯ができたわけです。その延長として沿岸部が埋め立てられ、いわゆる砂浜は金沢の海浜公園だけになってしまいました。

都市には、働く場所、住む場所、いろいろな機能があるけれど、それぞれが近ければ近いほどよいと思う。ヨコハマは東京のベッドタウンとして発展してきたけれど、これからはヨコハマに住み、ヨコハマで働く=職住接近のスマートシティ的なライフスタイルを模索したらよいと私は思う。もうお金と時間をかけて、移動に時間をかける時代ではなくなりつつある気がする。ヨコハマには、ショッピングはもちろん、余暇を過ごすスポーツ施設や美術館、音楽ホール、遊園地、動物園、観光スポット、飲食街全てが揃っている。
自己完結できる街ヨコハマを目指すのも一つの方向ではなかろうか?