富士山麓の山中湖にお気に入りのペンションがあり、何度か利用させてもらっている。とにかくここは、富士の眺めがいい!マスターの料理が美味い!!ワインや酒の種類が豊富!!!と三拍子揃った宿なのだ。夜な夜なマスターと杯を傾けながら飲み明かすことができるのも、魅力の一つなのだが・・。
カウンターで飲みながら「料理」に話題が及んだとき、マスター曰く「私はライブ感覚で料理を用意していますから」。なるほど、この宿で出される料理は、どれも出来立ての熱々でまさに食べ頃そのものである。これは当たり前のようではあるけれど、私たちは、冷め切っていても仕方がない食事を。否、もはや冷めていることに疑問さえも抱かずに食している経験を積み重ねていないだろうか?
実は、この宿はコースで皿が運ばれてくるのだが、最初の皿が出てから、最後のデザートが登場するまで、およそ2時間かけている。それには「食事が人にとっての単なるエサではなく、食事をし会話を弾ませる時間をこの宿を訪れた時くらいは大切にしてほしい」というマスターの願いが込められている2時間なのだ。その間彼は、厨房で最後の仕上げや盛りつけの彩りを工夫しながら、料理を出す最適なタイミングを計算しているのに違いない。おそらくは、その作業の緊張感と楽しさこそがマスターをして「ライブ感覚」と言わしめているのだろう。
ライブ感覚。ほいほい流に直訳すれば「今、おれは生きているぜ!って感じ」だろうか。ライブ感覚は、人それぞれで、躍動感あふれるハードロックのようなライブもあれば、暗闇にひっそりと青白い炎が燃えている虚無僧が奏でる尺八のようなライブもあるだろう。奏する自分の歌や歌い方は人それぞれであっていい。金子みすずさんが言う「みんな違って、みんないい。」のだ。
でも、結局、私たちは、一人ひとりが自分の人生を歌う歌手(奏者)であり、あり続ける。そして決して歌いやめることはない。マスターの一言に、ふと我がLIVEのあり方を振り返った夜でした。