オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

青島幸男「蒼天に翔る」を読む

青島幸男「蒼天に翔る」を読む


生涯一途に一仕事に打ち込む生き方の正反対に、青島幸男の生き方がある。何を始めてもできてしまう才能のあり方にマルチ人間と呼ばれ、その不思議な個性に対し賞賛、驚嘆、批判等あらゆる評価が渦を巻いた。没後9年弱、あまりに異端で突出した存在であるが故、彼の後継者は現れない。「そう言えば昭和にそういう人がいたねえ」的に一昔前を振り返る企画で登場する名前になってしまうのかもしれない。それはあまりに惜しいでしょう!と読み始めたのが本書であります。

本書は、放送作家・作詞家としての青島幸男の自伝的小説である。「このやろう!このままじゃ終われないぞ!」的な、その後噴出するエネルギーのマグマになり得る部分の描写はなく、読者は主人公のサクセスストーリーにシンクロすることはできない。わずかに第1章の真ん中あたりまで複雑に屈折し、持て余し気味の屈折した性格描写が本人の資質紹介に変わっている。第2章から先は、本のタイトル通りの疾走感あふれる快進撃が語られる。ホットドッグスことクレージーキャッツとの協働作業については、売れている側なりの葛藤が綴られている。

時代がタレントを必要としたのか?タレントが時代をつくったのか?という議論は、卵が先か鶏が先か?的に成立しにくいけれど、どうも青島幸男の誇大妄想的な躁状態の果てには、時代をつくっている自意識が横たわっていたのではないだろうか?この話の先に国会議員や東京都知事時代が続くことを思うと、そのような邪推も働いてしまうのだ。







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