佐高信「電力と国家」を読む
本書の冒頭、網野善彦さんの「領海の外は公海」という言葉が登場する。なるほどパブリックは国の官僚による統治機構の中にあるのではない。福沢諭吉や松永安左エ門、木川田一隆ら、官僚と闘い続けた人々の足跡が綴られる。
昭和10年代。日本が戦争にまみれていく時代、経済も自由主義経済から統制経済へと移行していく。松永安左衛門の官僚に抵抗し続けた足跡が、その頃の財界人を取り巻く状況を伝えてくれる。統制経済? と聞けば、いかにも全体主義的な響きを感じてしまうが、昭和10年代は財界の腐敗に対して、官僚が国家統制をもってコントロールしようと試みていた時代だったようです。モデルとして、ヒトラーのドイツやスターリンのソ連がイメージされていたらしい。電力が自由化された現在から信じがたい話です。
時代が戦争への道を突き進み、戦後GHQの統制化までの10年間、松永は隠棲する。再び蘇った松永によって、現在まで続いている日本の9電力体制が作られるのだ。しかし、その過程は孤立、四面楚歌そのものだった。ポツダム政令というGHQの強権発動によって、電力の民営化が実現する。もちろん背後には松永によるGHQへの粘り強い請願があったのだ。
9電力体制発足の昭和26年、松永は77歳てあった。一般には第一線を退く年齢なのに、電力会社の資金確保のために、電気料金の値上げを提案するのだ。これまた政府はもちろん世論も猛反対。
本書は、20110311の年に著されている。なぜか? 著者は1970年代の石油ショック以降、対立緊張関係にあったはずの国家官僚と電力会社が癒着に陥り、それが原発事故の遠因と見ているからだ。松永が、その後継者である木川田が亡くなり、電力供給を民間主導で進めるべきという信念を貫くリーダーが不在だったのではないか? そのことは現在日本が向き合っている電力供給問題が突破口を見出せない理由とも繋がっている気がします。