オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび655

養老孟司「ものがわかるということ」を読む

 


養老先生が大学生の頃、家庭教師で中学生に数学を教えていた経験から「なぜやらなきゃならないのか、よくわからないけれど、なにしろやるしか仕方がない。」ことがあると本書は始まる。

情報社会とは、言葉や記号が変わらないのに人間は変化すると言うギャップに課題がある。生身の人間の生の感覚、言葉や記号では伝えられない変化していく感覚の大切さを養老さんは説いています。しかし人間そのものが情報化してしまった状態を養老さんは情報化社会と呼んでいます。

その延長で、個性とは身体にあると。心は共通性を基盤にしているが、身体こそが唯一無二なのだと。学んだことが「身につく」とは身体で覚えることなのですね。「世界に一つだけの花」が大ヒットしてから個性を求めて右往左往していた人々に書いているような気がします。「個性とはいえあなたの身体そのものなんだよ」と。

古典芸能を習うと個性がよくわかると言っています。ボクにも経験があるのですが、とにかく師匠の真似がすべて。でも師匠が亡くなり、師匠と同じように演じているか? と言われれば、やはり違っているのです。養老さんはそれを個性と言います。

好きなことを仕事にして暮らしたい。誰もが一度は夢見ることに対して、好きなことをやりたかったらやらなくちゃいけないことを好きになるしかない。仕事を変えるか自分を変えるかの選択は、自分の方を変えて、その仕事を好きなことだと思い込んだ方がいいし、私は変わっていくものだから、本当に好きかどうかなんて分からないとのこと。

その後も話題はあちこちへ転々としますが、一貫していると感じるのは、自分の身体感覚を大切にする姿勢です、統計を疑い、操作された情報を疑う。ボクは教育学部社会科出身で若い頃は「社会科の初志を貫く会」に参加していたのですが、戦後社会科をつくった背景は「2度(1回目は戦前の教育)と騙されない子を育てる」と上田薫さんが語っていたのが印象的でした。

養老先生のバックボーンにも騙されない心がけがあるように感じました。

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