内田樹「修業論」を読む
まえがきで著者は語る。努力を一種の商取引のように感じている人には修業はわかりにくい。修業して獲得されるものとは、修業を始める前には意味不明で、意味価値は事後的回顧的にしかわからないのだから。
修業とは、誰もいない自分だけの、しかもゴールのわからない未知のトラックを一人で走っているようなもの。競争相手はどこにもいない。
生業と稽古は表裏一体。著者が稽古している合気道で開発される能力のうち最も有用な力は「トラブルの可能性を事前に察知して危険を回避する」だと言う。これはわかりやすい。そして稽古を通して「集団をひとつにまとめる力」を身につけようとしているらしい。
続けて無敵とは何か? 心身のパフォーマンスを低下させるファクター(要因)=敵という認識から、生まれた時からずっと振り下ろされる真剣の白刃の下で生きている存在としての我々、入力と出力が同時である石火の機や啐啄の機が語られる。
だんだん話が修業らしくなってきました。(つづく)