オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

祝!横浜開港150周年! 4

 開港100年 歓喜の港

 高木東六作曲によるこの曲は、残念ながら前述の「横浜市歌」のように広く愛唱された形跡がない。今回、開港150年に際し、横浜にちなんだ歌はないのかと探していた方が、あたかも倉庫の奥底に眠っていた骨董品を開くように、見つけだした曲なのである。

 人口に膾炙している曲ではないので、歌詞を紹介しよう。作詞は、横浜開港百年祭実行委員会選定歌とあり、曲のタイトルの副題として「横浜開港百年の歌」と明記されている。

1.白いかもめの はばたきに

  波がおどれば 潮風うたう

  ビルの窓から 波止場から

  古い歴史のページから

  ミナトヨコハマ 朝がくる

  百年 百年 開いて百年

  ミナトヨコハマ 朝がくる

2.あおい潮路を 今朝もゆく

  船の舳先の 七色虹よ

  意気は七つの海越えて

  伸びる喜び 新しい
 
  ミナトヨコハマ どらがなる

  百年 百年 開いて百年

  ミナトヨコハマ どらがなる

3.あかねまばゆい 空の上

  富士も微笑む 世紀の門出

  明日の希望に 輝いた

  若い命の海と山

  ミナトヨコハマ 陽がのぼる

  百年 百年 開いて百年

  ミナトヨコハマ 陽がのぼる

 1番で港を望む街の様子を歌い、2番で海に出て、船乗りの心意気を歌う。そして3番で、未来の発展を予感させるような希望を歌っている。「百年」「百年」が強調されているから、開港百年を祝う歌として、作られたことが理解できる。「市歌」のように学校教育の場で教え、歌い継がれることがなかったのは、そのような内容とも関連するのだろう。(ちなみに百周年当時、横浜市内の小学校に通っていた方の話を聞くことができた。当時の小学生は、横浜市歌同様、学校で「歓喜の港」を教わっていたらしい。ただし繰り返しになるが、その後歌い継がれることはなかったのである)

 50年前と言えば、昭和34年のことである。戦争中に大空襲を受け、戦後は壊滅的な状況から再出発した横浜の発展が、ようやく軌道に乗り始めた時期とも重なる。3番で歌われた希望は、その後見事に花開き、50年前のおよそ3倍にあたる人口を有する我が国最大の「市」として大発展を遂げたわけである。

 横浜は、開港以来、常に我が国の文化の発信地であった。古く文明開化の時代を振り返れば、「鉄道」「鉄の橋」「街路樹」「ガス灯」「アイスクリーム」「写真屋」「馬車」「新聞」「電信」「テニス」「ビール」など様々な文化が、横浜から日本中に向けて発信された。

 この発信地であり続けてきた土地柄は、今も横浜に根強く息づいている。日々重要な国際会議が開かれ、世界に向けて、その決定事項が発信されているし、数年前にサッカーワールドカップの決勝戦が、ここ横浜で開催されたことは記憶に新しいところであろう。そして、今回の開国博。

 少々前につんのめりそうなほどの先進性が、横浜人(はまっ子)の血液の中に、流れている。日々何かわくわくする出来事に出会い、どきどきさせてくれる感動を共有できる街、それが横浜だ。そしていつの間にか、自分もその創造の輪の一員になっていて、新たな自分を発信しているのである。