オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび184

横浜の話①  サテライト都市として

横浜市の公立小学校であまねく教えている曲があります。森鴎外作詞の横浜市歌です。歌詞の中に、昔思えばとま屋の煙、ちらりほらりとたてりしところ〜♪というのがあるのですが、小さな漁村だった横浜に突然ですが港を作ることになったのは、幕末の開港騒ぎの最中。

東海道五拾三次の神奈川宿では往来が多く、外国人とのトラブルを避けたかった幕府は、過ごした離れた横浜に目をつけたのですね。その前の日米和親条約の時は、箱館と伊豆の下田が開港し、江戸から遠いところが選ばれています。

サテライトとして江戸を守っているとも言えます。

幕府的には出島のように居留地を決めて、ヒトの出入りを制限したかった。だから関所的な管理がなされていて、関内などの地名が残っています。けれどそんな狭い、排水環境もよくない場所に我慢できない外国人が丘の上に家を建て始めたのが山手地区。街道筋まで遠乗りして、殺傷事件になったのが生麦事件ですね。

誰がやって来たか?それはもちろん商人たちですよ。横浜は外国との取引で活躍する商人が集まり、その後に浅野総一郎が埋め立てた土地を活用した工業都市として発展するのです。京浜工業地帯の誕生です。