オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

神妙にマタイ受難曲を聴いてみる 3

 二十七曲の緊張感!

「宗教曲を聴いても眠くなってしまうばかりで・・」と本音をこぼす御仁がいる。いや、宗教曲に限らず、クラシックというご大層な音楽自体が、心していないと「少なからず眠い」ものなのかもしれない。

 少々うとうとしながら聴いていた人も「何事か!」と思わず目を覚ましてしまう場面が、少なくとも三箇所はある。バッハと言えば「フーガ」。後にも先にもバッハほど緊張感あふれるフーガを書いた人は、音楽史上存在しない。(同時代のヘンデルも上手なフーガの書き手であるが、ヘンデルの場合は、フーガによって表現がより華やかに色彩感豊かに広がっていくという印象である)バッハは、前半二十七曲目まで封印していた「フーガ」を遂にここで解き放つのだ。

 場面は、イエスが捕らえ縛られる場面。管弦楽も稲妻となり、雷鳴と化し、合唱とともに叫び続ける。この二十七曲目の迫力はすさまじい。さらに劇的な効果を生みだしているのが、104小節目の休符につけられたフェルマータ。この小節前後に展開する怨念のこもった叫び声の連呼を、一瞬の静寂が引き締めている。

 バラバ!

 続いて是非目を覚ましていただきたい。否、お願いしなくても覚めてしまうのが「バラバ!」の叫びである。総督ピラトによって、イエスかバラバか、どちらかは釈放されると言う話になった時、群衆は「バラバ!」と叫ぶのである。今流に言えば、D#のdim(減七)の和音なのだが、何せそれまでほとんどそのような和音は現れず、しかも突然fで全合唱が叫ぶのだから、度肝を抜かれてしまう。

 この時(と言っても、2000年以上昔の話だが)なぜ、イエスではなく、バラバだったのか!という後悔の念が、人々の心をしっかりつかんで離さないのだ。


 エリ〜 エリ〜

 エリ〜とは、もちろん女性の名前ではない。預言者エリアの名を、息を引き取る前のイエスが叫んだという話に由来するのだ。ここでイエスが歌う旋律は、かなり奇妙である。それまでの流れとおよそ関係のない不思議な音を歌うのだ。しかもそれまでは、必ず歌を支えていた弦楽による伴奏がない。これが、この長い曲の中で、イエス役の歌手が歌う最後のふしなのだ。

 音が不思議なので、「おや?」と感じる。音楽は、即群衆の合唱へと続き、「あれはエリアを呼んでいるのでは?」とか「待て!本当にエリアが彼を救いに来るか、見てみよう。」などと歌われるのだが、このイエスが叫ぶ場面を機に、好き勝手なことを口にしていた群衆のせりふが変化してくるのだ。

 十字架に架けられていたイエスが、最後に何か言葉を発したとしたら、それはどのように?
 バッハのたどり着いた結論が、ここから聴こえてくるのである。