オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

長い長い追いかけっこを走りきった加藤和彦の死を悼む〜1

10月17日「加藤和彦、軽井沢のホテルで自殺」とのニュースが流れた。巨星堕つの感が深い。

 思えば、みんなして加藤和彦の後を追いかけていたのである。追いかけ続けていたのは、とても長い時間だった。そう40年もの間。
 この追いかけっこはちっとも終わらなかった。彼は「同じことは二度やらない」ので、いつも新しい逃げ道を見つけては、追いかけている鬼たちを唖然とさせていたからだ。
 この鬼ごっこは、追いかけられていた加藤和彦の死によって、ついに幕切れとなった。走り続けることに疲れ果ててしまったのかもしれないし、結局はだれも彼に付いていくことができなかった事実に愕然としてしまったのかもしれない。

 追いかけっこの始まりは、ご存知「フォークルセダーズ」(筆者には、どうもクルセイダーズの方がしっくりくるのだが)。ある日、テレビから流れてくる「とびっきりに楽しく」「底抜けにおふざけで」「少々不謹慎な」それまでにまったく聴いたことのない歌に、当時まだ小学5年生だった筆者は、ひっくり返る程驚いた。そしてこの曲が大好きになった!
 もう集団登校の班でも教室でも大変な騒ぎだった!学校中でこの「破廉恥(たしかレコードのタイトルが『はれんち』だったように記憶しているのだが)」な歌をみんなで歌いまくっていた!!「天国よいとこ一度はおいで 酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ!!〜♪」(本当にいいのかよ?こんなレコード出して・・と子ども心にも少々心配しながら・・)。
 この小学生達の歌には、欠かせない役割が一つあってそれはの神様の真似をする子の存在だった。「な〜 おまえ、天国ちゅうとこは そんなに甘いもんやおまへんや もっとまじめにやれ〜」筆者が通っていた神奈川県内の小学校では、この関西弁(京都弁?)のイントネーションがまた微妙におもしろく、日常勉強やらなんやかんやで親や担任の恐い先生(この頃の先生は、まだ恐かった!)に「もっと まじめにやれ〜」とどやされている我が身の立場に重ね合わせ、ツボにはまっていたわけだ。

 その後、あっさりテープの早回し路線はやめてしまい、「イムジン河」という曲を出したらしいと思ったら、その曲はすぐ流れなくなり(朝鮮半島の政治状況と我が国音楽業界の関係など、当時の小学生には知る由もなく・・・)、「悲しくてやりきれない」だの「青年は荒野をめざす」などの曲をヒットさせていた。子ども達にとってありがたかったことは、彼等がテレビに登場してくれることだった。彼等のコメントは、いつも人を食ったような、司会者を辟易させるような感じだったけれど、それはそれで他のタレントとは、まるで異なる個性で「フォークルは、やっぱりちょっと違うな」という雰囲気をスタジオいっぱいに漂わせていた。

 この伝説的なスーパーグループ「フォークルセダーズ」から長い長い追いかけっこがスタートした。