我が家には、テレビが一台しかない。3人家族であるし、テレビがなければ、同じ時間・空間を共有する必要性が薄くなってしまう??ので、一台しかないのは、自分的には正解のつもりなのだが。
困るのは、亭主やら子どもが家に居る時間が長く、日常とは違いテレビが無くても、自動的に長い時間・空間をともにしてしまう期間が一年に一度はあるということだ。しかし、ふだんに習い、相変わらずテレビがついている。
そう年末年始である。別に他の事に勤しんでいてもよさそうなものだが、もはや家族の一員であるかのように、テレビから絶えず音声が流れ映像が発信され続けている。そして、それらの総量は家族相互が交信する情報量に比べて、はるかに多いことに、もはやだれも疑問など抱きはしない。
19:15 紅白歌合戦 〜 23:45 ジルヴェスターコンサート 〜
0:25 年の始めはさだまさし
これがここ数年、定着した?大晦日の夜の過ごし方。以前サザンが横浜アリーナで年越しライブをやっていたころは、そちらを見ていたが、近年はさだまさしの軽妙なトークで年明けの数時間を過ごしている。
ニューイヤー実業団駅伝 〜 サッカー天皇杯 〜(しばし休んで)〜ウィーンフィル ニューイヤーコンサート
これもここ数年。元旦の過ごし方として定着しつつある。
紅白歌合戦は、今年で60回目を迎えるとのことでして、久石譲氏によるテーマソング「歌の力」が、番組のCMとして事前に流れたり、本番でも全員合唱で歌われたりしていたが、自分ではどこかで聞き覚えがある旋律に似ている気がして少々引っかかっていた。梁田貞氏による名曲「城ヶ島の雨」の「船は行く行く 通り矢のはなを」の節に、どことなく似ているのだ。
番組の途中、部屋にこもってパソコン君と友達になっていた時間帯もあったので、すべての歌手を聴いたわけではないのだが。印象に残った歌手を出場順で挙げていくと、flumpoolの「星に願いを」、FANKEY MONKEY BABYSの「ヒーロー」は、共に初出場を感じさせないリラックスぶりで好演だと感じたし、演歌では五木ひろしの「凍て鶴」が故三木たかし先生を偲ぶ歌のようで、こちらトリでもよかったくらい。(サブちゃんがダメというわけではありませんぞ)女性陣では、やはり絢香の「みんな空の下」がよかった。やはり彼女の抜きんでた歌唱力は、若すぎる引退が実に惜しまれる。最後に集計のところで、今まで使ったことの無かった青いリモコンボタンをおもしろ半分で押してみたところ、何と「白組」に一票入ってしまったらしい。双方向通信の時代の到来を痛感した次第。
紅白の「ほたるの光」をこたつに入りながら一緒に合唱すると、今度はテレビ東京のジルヴェスターコンサートへチャンネルを切り替える。大友直人氏による今回のカウントダウン曲「木星」も無事に成功し、胸をなで下ろしていると、中村紘子先生が登場し、お若い頃の思い出を語られた後、ドビュッシーとショパンを弾かれた。今年はショパン生誕200年ということで、あちらこちらでショパンの旋律を耳にする機会が増えそうだ。相変わらず音の粒がきれいに揃った、自由度の高い中村紘子先生の演奏に拍手!
さて、元旦の夜のお楽しみは、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートの衛星中継である。指揮者は、ジョルジュ・プレートル。2008年に引き続き、2回目のニューイヤーコンサート登場とのことだが、どうしたことか、私には2008年の演奏の記憶がないのである。85歳という年齢、フランス人指揮者とウィーンフィルとの相性等々、期待感は否が応でも盛り上がる。
コンサートの始まりは「こうもり序曲」。眼をつぶって聴けば、まさかこの演奏を指揮している人物が85歳だとは、だれも想像できないだろう。何て、若々しい、エネルギッシュな演奏!!
ポルカやワルツを中心にプログラムが組まれるニューイヤーコンサートは、必然的に小品が多くなるが、どんな小さな曲の短い旋律でも、まるでかわいい孫に目配せをするかのごとく、優しい茶目っ気たっぷりの表情で音楽と向き合い、交響楽の中から、極上の音楽を引き出してしまう。
同じフランス人指揮者であったミュンシュを、弟子の小澤征爾が「頬のわずかな動き一つで、音楽が変わる」と評したことがあるが、プレートルの指揮にも同様のことが言えそうである。プレートルがちょっと眼を細めただけで、音楽は、デリケートさを増し、愛嬌たっぷりにまなこを開くと、音楽も解放されおおらかな音楽が響き始めるのだ。
どの曲もすばらしかったが、ホフマンの舟歌がきこえてくるオッヘンバックの序曲から聞こえてきた変幻自在でスケールの大きな音楽が、この巨匠の真骨頂であるように感じた。ブラヴォー!