例年年明けは、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴いている。今年の指揮者は、ウェルザー・メスト。ウィーン国立歌劇場の音楽監督である。昨年の指揮者が、85歳の高齢を押して、プレートル氏だったことを考えると、随分若返った。ただ、プレートルの頬の「ひくひく」だけで音楽の表情が変わる・・というとてつもない技の前には、ウェルザー・メストは、未だ音楽とがっぷり四つに組み合って、勝負している雰囲気があり、どうもそのかたくなさと言うか、真面目さが、私の求めているシュトラウスの音楽像にだぶっていかない。
よかったのは、リストの作品で、大向こうを張って、聴衆に演説をぶつような、過剰な演技で惹きつけるようなところがあるリストの音楽と、指揮者の真面目さが、上手くかみ合って、ウィーンフィルの能力が引き出せていたように思う。
ただ、シュトラウスのワルツ・ポルカになると、弱音部分は繊細な音作りを心がけていることが、よく伝わってくるのだが、それがいかにも拵えた音楽にきこえてしまう。強弱の指定は、そうでなければ、その音楽が成り立たないという作曲者からの条件ではない。より豊かな音楽表現を引き出すためのガイドラインのような書き込みだと思うのだ。
だから、曲の全体像の中で、他部分と比較して、自然な弱音に推移するのが、説得力のある演奏というものだろう。ウェルザー・メストの今年の演奏は、どうも強弱のコントラストが、作為的に過ぎた感があるように思うのだ。