オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

Allegro気分で行こう!4

 クロコダイル・ロック

 人々が音楽に、ある一定の美学を求め続ける限り、ポップスシーンにおけるエルトン・ジョンの名前は永遠であろう。

 才能に満ちあふれた若者が数多く輩出した70年代。美しくのびやかな旋律を描き出すことについて、だれもエルトン・ジョンを越えることは、できなかった。4歳にして耳コピーした曲を弾き、11歳で「王立音楽院」に入学した彼は、異なった時代に生を受ければ、モーツアルトのような音楽を量産したかもしれない、まさしく生まれながらにして天賦の才に恵まれた「神童」であった。ただ、彼が志したのは、王立音楽院で学んだはずのクラシックではなく、ロックだったけれど。

 200年前の神童モーツアルトとの共通点は、もう一つある。エルトンには駄作がない!という点だ。デビュー当初、作詞を担当し続けたバーニー・トービンが1時間くらいで詞を作ると、ジョンに渡すとその後30分くらいで曲が出来たと言う。

「美しい旋律が次から次へと湧いてくる作曲家エルトン・ジョンの真骨頂は、バラードにある。その通り、たしかに「僕の歌は君の歌」「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」を始めとして、私たちは、彼の歌うバラードを存分に楽しませてもらった。彼が、もしバラードしか書かなかったとしても、彼の名前はポップス史上に燦然とその名をとどめたことだろう。

 だが、私たちはミュージカル「ライオン・キング」や「アイーダ」の作曲家が、エルトン・ジョンであることを忘れてはならない。劇団四季の素晴らしいステージも、エルトン・ジョンという存在抜きにはありえなかったのである。

 ここまでエルトンのことを、ほめちぎってきても、何%かの音楽ファンは、彼に対して、すなおに熱中できない引っかかりを感じてしまうかもしれない。活動の初期から、大勢のファンから「?」マークを突きつけられてきたのは、ファッションセンスの部分なのだ。一言で言えば、視覚的にあまり「かっこよくない」のである。もう少し、その部分に配慮が及べば、さらに巨大な数のファンを獲得したであろうに・・と思うのは、単なるお節介なのかもしれない。

 さて、「クロコダイル・ロック」。ロックが始まった頃の名曲で、一晩中恋人と踊り明かした・・という設定で歌われている。トービンによる詞の内容は、センチメンタルだけれど、それを50年代に流行ったロックのテンポで、どこまでもカラッと爽快に歌い上げている。

 バラードもいい、ミュージカルナンバーもいい、でもこんなシンプルなロックンロールも最高!エルトンの才能に、改めて乾杯!