オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

重松清「定年ゴジラ」を読む

重松清「定年ゴジラ」を読む

タイトルや帯を読みながら「自分自身も似たような年代に差し掛かっているなあ」と、我が身に引き寄せた読み方になることを予想していた。
しかし、この初版が1998年。すでに17年が経過し、当時定年を迎えた先輩は、すでに70代後半である。幼少期日本は戦争の真っ只中で、小中学校の教室はとんでもない人数でいっぱい。学校を卒業された頃から高度成長期を迎え、夢のマイホームを建てることが人生の目標であった世代。その方々に、すでに家があまり始めてきていて空き家対策などという社会問題が持ち上がっていることをどう説明すれば、よいのだろうか?
ある世代を語ることが、ほとんど歴史を語ることと同じくらいの重みを持っている。その位に日本は急速に変化してきたし、世代間の価値観の共有もままならないままに突っ走ってきてしまった。私にとっては、結局二世代くらい上の先輩たちというスタンスで、読み始めることになったのである。
定年後の哀愁、ペーソス・・全編を通して、ドローン(低音で繰り返されながら、音楽支える音形)のように流れている。以下心に引っかかった言葉と、ちょっと考えてみたこと。
第四章「夢はいまもめぐりて」で、ふるさと・母親・友だちの思い出をカットバックしながら、チュウの言葉「負けた奴やがんばれなかった奴を許してくれる人がいねえから、なんのことはねえ、勝った奴とがんばってる奴しか住めねえ街になっちまうんだ。わかるか?」は、格差だの自己責任だの言いながら、すべて「身から出た錆」的に片付けてしまうギスギスした社会を言い当てているように感じる。その点については初版の17年前よりさらに状況が悪化しているのだから。
第五章「憂々自適」から町内会長の言葉「俺たち、ぶらぶらすることにも一生懸命になってるんじゃないかな。必死になってぶらぶらしてるような気がする。どんなふうに必死なのかはわからないんだけど、とにかくほんとうのぶらぶらじゃないんだよ。わかる?骨休みに温泉に行ってさ、風呂に何度も何度も入って結局のぼせちゃうみたいな感じ」それって、定年になったからって急にできることじゃないでしょうと、ツッコミを入れたくなる。自分にとって大切なことの優先順位通りに生活できる社会や生き方について、日本人はまだまだ学んでいかなければならないのだろう。
第六章「くぬぎ台ツアー」から、「生きるために胸に思い描くものと、目覚めれば消えてしまうものが、なぜ同じ夢という言葉なのだろう・・・」きっと政治家か、教育者か、商売人か、誰かが、夢という言葉を大安売りして、希望を与えたつもりになっていたのだろう。そのツケが今になって回ってきたのかもしれない。サミュエル・ブルマン「青春とは人生のある期間をいうのではない。心のもち方を言うのだ。年を重ねただけでは人は老いないが、夢を失う時に人は老いるのだ」有名なこの言葉も人々に「夢」信仰を広げた言葉の一つかもしれない。
最後に、パソコンに目覚め、ホームページづくりに気持ちを踊らせる定年ゴシラたちを描き、話は幕を閉じる。夏休みに子どもがセミやトンボを追いかけるように、心がウキウキする対象を追いかける。それはオヤジたちの本能だったろう。実際歴史の中でオヤジが活躍した場面があったとすれば、その瞳の輝きは虫を追いかけ回している子どもと大差ない。さて、これから定年を迎えるオヤジたちが追いかける虫は、今どこで羽を休めているのだろう。



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