オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

三浦しをん「舟を編む」を読む。

三浦しをん舟を編む」を読む。

この本は映画化され、一時かなり話題を呼んだので、さすがの私もタイトルは知っていた。辞書編集という地味でもてはやされることが極めて少ない割に、とんでもない時間と労力を必要とするという仕事は、「神去・・・」の林業と似ている気がする。今は、何を調べるにしても、かなり安易にウィキペディア等で検索をかけてそれでよしと、言葉の海の波止場でUターンしてしまうケースが多いので、言葉の海の真っ只中で航海している人にスポットを当てた本作がヒットしたわけも何となくうなずける。
「大和歌は人の心を種として よろずの言の葉とぞなりける」これは紀貫之古今集序ですが、現代において言の葉が温帯広葉樹のように陽に向けて繁っているか?はたまた冬の落葉樹のごとく、葉がすでに朽ちているか?時代は、同じ言葉がテレビやインターネット、SNSを通じて、絶えず連呼され、言葉にもはや襞やニュアンスという生きた葉脈が流れていない感さえある。
そんな世相の中では、主人公馬締光彦はかなり特異な存在でしかないだろう。彼が引き継いだ松本先生・荒木先輩の思い、彼の掛け替えのないチームメートである編集部の同僚が次第にベクトルを一つにしていく様子、そのような辞書作りという気が遠くなるような膨大な仕事の描写を通して、結果としての分厚い本だけでない、その作業の価値や尊さにまで作者はこの作品を通して分け入ることに成功していると感じた。
最後に本書で気に入った言葉を二つ書き留めておこう。林香具矢の岸辺に対する言葉「馬締が言うには、記憶とは言葉なのだそうです。香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです。」
松本先生とのそば屋での会話から、馬締「言葉とは、言葉を扱う辞書とは、個人と権力、内的自由と公的支配の狭間という、常に危うい場所に存在するのですね。」






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