オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

ヴァーチャルな合唱と対峙する「生もの」

ヴォカロイドによる、例えば初音ミクの歌声。さらには、ヴォカロイドによるコーラス。若干高周波倍音が少なめの印象はあるけれど、生身の人間よりよっぽど音程はしっかりしている。(平均律なのは致し方ないとして)
そして、さっきfacebookでshuttokenさんが相澤直人さんの「ぜんぶ」男声合唱版を「ぜんぶ」一人で4パート歌い、合唱?している動画を見た。もちろん上手い。

では「生もの」としての従来型合唱は、どう対峙していくのか?そもそも生で歌う魅力とは何なのか?一つ目に、一過性を挙げてみよう。「生もの」は、その時限りの再生不可能な限定品なのだ。テンポの揺れ方、ダイナミクスの変化等、二度と同じことはできない。なぜなら生身の人間が演奏しているのだから。
もう一つは、やはり空間の共有を挙げたい。合唱とは、結局空気を震わせてナンボの世界だと思う。CDにYouTube、様々な再生方法があるけれど、生演奏に勝る聴き方はない。そして、ヴァーチャル合唱は、今のところ生演奏に限界があると思うのだ。
最後に、陽ちゃん先生や北村協一先生がおっしゃっていたけど、一人でできないことをみんなでやって楽しむのが、合唱の本質だと思う。その場に集まった人の声質によって、またその時の各自の体調によって、歴史が浅い合唱団ほど、倍音の鳴り方が変化する。倍音の鳴り方がいつも一定になると合唱団は、一つ目の到達点に達することになるけれど、それは、同時に出発点でもあるだろう。いろいろな声が集まって、何か楽しいことを始めてみる。「生もの」の大きな魅力だと思う。