オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび148

未来を勝手に思い描き、夢想する1

 

自分の未来、街の未来、大袈裟で手に余るけど国の未来、世界の未来について、どこまでスケジュールが立てられるか?意識上にあることが大切だと思っています。

二つ例を挙げると、まず自分のこと。私は今64歳なので、平均寿命を仮に100kmの距離だとすれば、70kmあたりをとぼとぼ歩いている。けれど残りの距離を、急な下り坂にして一気に下ってしまうか?まだまだダウンアップを楽しみながら?フウフウ歩いていくか?それは自分自身に選択の余地が残されていると思うのです。

もう一つは、大げさな国の話。福島原発廃炉処理のスケジュールは、数十年どころか百年のスパンで考えなければならない。山の植林が数世代に渡って続けられたように、世代をまたいでスケジュールを引き継がなければならない。財政状況の改善もきっと長い時間を要するのでしょう。これらの課題に選択の余地はない。あたかも選択の余地が残されているかのように、政策論争を展開しても何も始まらない。

こうした長い先のことを自覚しなければ、とりあえずどちらへ一歩を踏み出していいのかがわからないはず。敢えて国会に選ばれている議員諸氏に問いたい。与野党を問わず、皆さんは何年先まで日本の未来像を思い描いているのか?と。